日本の古代道路
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日本の古代道路(にほんのこだいどうろ)は、古代日本の道路または道路網を指す。特に、中央政府・律令体制構築期の政府が、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代前期にかけて計画的に整備・建設した道路または道路網を指す。
注釈
- ^ 現在までに発見されている日本最古の道路は三内丸山遺跡(縄文時代)の幅12メートルの舗装道路である。
- ^ 記紀神話の記述の信憑性はともかくとしても、西国と奈良盆地を結ぶ交通手段は、まずは大和川や熊野川などを利用した水運であった。この過程で河内湖に面した住吉津難波津などが開かれ、陸側の要衝として重要度を増していた。
- ^ 東京都国分寺市では東山道が発掘されており、その直線道路跡の道幅が12 mあったほか、群馬県では、道幅13mの道路が約10 kmにわたって直線的に続いているのが発見されている[2]。
出典
- ^ 武部健一 2015, p. 29.
- ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 135.
- ^ 武部健一 2015, pp. 26–28.
- ^ 武部健一 2015, pp. 29–32.
- ^ 武部健一 2015, pp. 34–36.
- ^ 中村、2000年、p. 35。
- ^ 浅井建爾 2001, p. 84.
- ^ a b 浅井建爾 2001, p. 87.
- ^ 武部健一 2015, p. 35.
- ^ 近江、2012年、pp. 188–189
- ^ 松原、2009年、pp.44-56
- ^ 松原、2009年、pp.187-210
- ^ 今津勝紀 著「税の貢進」、館野和己・出田和久 編 編『日本古代の交通・流通・情報 1 制度と実態』吉川弘文館、2016年、82-83頁。ISBN 978-4-642-01728-2。
- ^ 松原、2009年、pp. 59–60,213–214
- ^ 武部健一『完全踏査 古代の道 -畿内・東海道・東山道・北陸道- 』 pp. 92–95
- ^ 静岡県埋蔵文化財調査研究所 1996
- ^ クロップマーク(ソイルマーク)(渋川市 Webページ)
- 1 日本の古代道路とは
- 2 日本の古代道路の概要
- 3 性格
- 4 脚注
- 5 外部リンク
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