原子力発電準備委員会での検討とイギリス炉の脱落
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「東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯」の記事における「原子力発電準備委員会での検討とイギリス炉の脱落」の解説
1964年10月の朝日新聞記事によれば、当時電力各社が検討していた1973年度末を目標とした長期電源開発計画で、東京電力は1号機についてのみ計画に繰り入れており、その電気出力を35万kWとしていた。関電、中電の原子炉建設と歩調を合わせ、運開予定は1970年度であった。またこの頃になると、世界的に第2次原子力発電ブームが訪れていた。その嚆矢となったのは、1964年9月にジュネーブで開催された原子力平和利用国際会議で、GE、WH両社による軽水炉の大々的なPRが行われ、原子力の将来性に「明るい見通し」が出された。このことが追い風となり、東京電力は1号機の検討を本格化させる傍ら、2号機の設置についても検討を開始した。 また結局、上述のTAPの研究ではBWR寄りではあったが、正式な決定を公に出来るレベルまでは進まず、GEにするとしても、BWRのどのタイプかまでは上述の田原が描いた1962年9月の常務会の場面では明らかにされていない。この間の事情は後年『関東の電気事業と東京電力』にて一段詳細に明らかにされている。 原子力発電準備委員会は1965年5月、中間答申を提出し、ガス冷却黒鉛減速型炉、改良型ガス冷却炉等のイギリス型炉とPWR、BWR等のアメリカ型軽水炉を比較し、下記の要旨を結論した。 安全性に優劣は無い 安全対策に要する費用の経済性を比較すると軽水炉が優越している。 イギリス型は将来見通しが悪い イギリス型は運転性能に制約条件が多い また、1965年7月には社外学識経験者の参加を得て耐震委員会を設けた。 なお、田中直治郎はBWRを選定した後の、1966年5月の講演の質疑にてこの件に触れている。質問者は1964年頃にはオールドベリー発電所(en)が建設中であったが、東京電力がイギリス型炉を不採用とした理由を尋ねた。田中は次の要素を挙げて回答している。 オールドベリーはコールダーホール改良型に過ぎない コールダーホールの次に開発された改良型ガス冷却炉(AGR)は燃料に濃縮ウランを使用し、またイギリス内ではGEとの見積競争を勝ち抜いて採用された実績はある しかし、AGRは大容量炉の実績が無く、経済性もGEの炉の方が高いという理由で日本国内では不採用となっている。 他の新型炉で経済性に乗るとはっきりしたものは技術導入にて日本原子力発電が建設することも考えられ「私見としてはあの会社を活用しなければ損」である また、ユニット容量については1号機で35〜45万kWを想定し、ノウハウ習得、2号機以降の建設に際しての技術レベル向上、経験蓄積に資することを加味して技術的信頼度、経済性を比較検討し、1965年11月に下記の要旨の最終答申を提出した。 耐震設計は建屋予定地の地盤が第三紀層であり支持基盤として適当 発注に際して基本的な仕様となる見積依頼書はBWRとPWRを検討し、 35万kW以上でこれに近く、経済性の高い出力 先例を有すること
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