協同民主党への参画とは? わかりやすく解説

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協同民主党への参画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「協同民主党への参画」の解説

1945年昭和20年3月結成され護国同志会運営を主に担っていたのは船田中であった護国同志会には産業組合関係者多く戦後になって1945年10月から11月にかけて、護国同志会系列船田中らと産業組合千石興太郎黒沢酉蔵らによる新党結成動き本格化した。その結果12月18日には26名の衆議院議員参加する日本協同党結成される日本協同党協同民主主義標榜し協同組合主義経済原則掲げ戦争大きな打撃を蒙った産業経済文化を、勤労自主相愛基調とする協同組合主義により再建し協同組合産業復興中核となることを主張した日本協同党黒沢船田を代表世話人とし、井川忠雄ら5名が世話人千石23名が委員となった。党を指導する船田千石らは、かつて近衛新体制運動積極的に係わったものの、戦時体制下では非主流となったため、終戦後新たな体制担い手なり得る考えていた。しかし1946年昭和21年1月4日GHQ黒沢船田千石らを公職追放とすることを決定し日本協同党の代表世話人世話人委員30名のうち、追放免れたのは世話人井川忠雄委員北勝太郎の2名のみであった。党存続の危機見舞われ日本協同党2月23日に緊急幹部会開催し井川中心として党再建乗り出すこととした。井川はまず日本協同党自由党の左、社会党の右の存在とし、協同主義統一的な協同組合行政確立する理念であると主張した2月28日には第一回の党全国代表者会議の席で、常任世話人として井川の他、船田中実弟である船田享二山本実彦らを選出した日本協同党衆議院議員選挙前に、まず社会党との連携模索した社会党としても戦後結党時、協同組合関係者取り込む動きもあり、日本協同党社会党との提携は不自然ではなかった。しかしGHQ内には日本協同党日本穏健化し安定化させるのに寄与する評価するとともに日本協同党メンバーには中道やや右より政党であるとの合意があると見る向きもあった。4月第22回衆議院議員総選挙において、日本協同党94名の候補者擁立するが、14名の当選とどまった思わしくない選挙結果受けて日本協同党社会党との連携以外に諸派無所属議員のとの連携を図るようになった総選挙無所属で当選した三木は、選挙後田中伊三次とともに諸派無所属議員結集する会合呼びかけ人となった三木田中らは新人諸派国会議員糾合して新党結成しようもくろんだのである三木らは当初幣原内閣居座り工作図っていた楢橋渡内閣書記官長らとの連携進めようとしたが、楢橋連携相手目されていた社会党日本協同党構想乗らず結局自由党社会党日本協同党共産党による倒閣共同委員会組織されたことにより、4月22日幣原内閣総辞職追い込まれた。政局動き見た三木らは楢橋動きから距離を置くようになり、幣原内閣総辞職した22日に、44人の衆議院議員からなる院内団体大同倶楽部結成した4月27日には総選挙を受け、中央委員長に山本副委員長に北、書記長井川という日本協同党新執行部選出された。新委員長選出され山本改造社社長であり、戦前2期民政党衆議院議員務めており、経歴からも協同主義イデオロギーに必ずしもこだわらない人物であった。そして結成間もない大同倶楽部内に新党結成動き起こり、更に日本協同党大同倶楽部との合同目指す動き起こった。この動き北勝太郎中心とした日本協同党内の農村派の反対によりいったん立ち消えになったかに見えたが、結局日本協同党日本農本党などの諸派大同倶楽部は、5月8日協同組合主義党是とする新党協同民主党結成合意する至った。 ところが協同組合主義党是多く大同倶楽部所属議員からクレーム出され大同倶楽部所属議員多く日本協同党との合同加わらず新党結成目指すこととなって院内会派日本民主党準備会を結成された。話が進んでいた協同民主党結成の話が突然上手くいかなくなった背景には、他の大政党からの工作があったものと推測されている。結局日本協同党日本農本党などいくつかの小会派によって5月24日協同民主党成立する三木当初日本民主党結成準備会に参加したものの、日本民主党準備会は新人代議士27名のみで民主党結成する方針となり、新党主導権を握ることが困難な情勢となったため、参加要請されていた協同民主党加入することになった。なお日本民主党準備会は院内会派新政会経て9月25日国民党となる。三木当初もくろんだ新党結成流産した背景のひとつには、新党構想主導した三木田中伊三次が、代議士個人個人事情を十分考慮することなく無理やり新党結成しようとしたことが反発買ったことが挙げられる

※この「協同民主党への参画」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「協同民主党への参画」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

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