初代(1989年-1998年)UCS17/55/69系
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「いすゞ・ミュー」の記事における「初代(1989年-1998年)UCS17/55/69系」の解説
1989年に登場したミューの初期型は、車体後半の開放部にバリエーションがあり、3ナンバー(乗用登録)がFRP製のトノカバーを持った「ハードカバー」(UCS17DW型)、1ナンバー(貨物登録)は折りたたみ可能な幌を持つ「ソフトトップ」(UCS17DH型)と、それぞれ呼ばれる2種類がラインナップされた。乗車定員はハードカバーが2名、ソフトトップが2 / 4名である。 ハードカバーは、バンパー、フロントグリル、ドアミラーカバーをメッキ仕上げとし、「ブライト」と呼ばれる仕様となっている。 はしご型フレームを持ち、サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーンと縦置きトーションバースプリング、リアがリジッドアクスルと半だ円リーフスプリングの組み合わせで、ファスター / ロデオをはじめ、他のいすゞユーティリティーヴィークルと共通の構成。 エンジンは直列4気筒SOHC、2.6Lガソリンエンジンの4ZE1型を搭載。トランスミッションも5速MTのみであった。乗用、貨物ともに同じエンジン型式であるが、それぞれの排出ガス規制の違いから、触媒コンバーターがなく、エキゾーストパイプの曲がりも少ないソフトトップの方が快活な走りを見せた。 フロント周りはファスター / ロデオと共通のデザインながら、ブリスターフェンダーの張り出しはより大きくされた。フロントドアパネルもファスター / ロデオと共通であるが、ミューでは三角窓は装備されない。 日本国内向けの生産は、シャーシがいすゞ・藤沢工場で、車体と最終組み立ては、オープン構造の車体組み立てを得意とする高田工業に委託された。北米向けの「アミーゴ」は、富士重工業との合弁による、インディアナ州のSIAで生産された。 1990年8月に荷室部分に鉄製のハードトップを付け、4人乗りに変更したメタルトップを追加し、エンジンも直噴4JB1 2.8Lディーゼルターボを追加(ハードカバー UCS55DW型 / メタルトップ UCS55DWM型)。 その後、フロントマスクのフェイスリフトやサイドアンダーミラーの追加、後席ヘッドレストの追加などの小変更を経るが、インパネ周りはクラスタースイッチ、サイドブレーキはステッキタイプ、三角窓と内装も強烈にいすゞぶりを発揮していた。 コンセプトは先進的だが、その実態はどこまでも質実剛健な、いすゞらしい無骨な車だった。 1991年9月、マイナーチェンジ。4速AT車追加。 1992年10月、マイナーチェンジ。同時にソフトトップを廃止。 1993年4月に本田技研工業との間に商品の相互補完に関する基本契約を締結。それに基づき1993年10月から1996年12月の間「ミュー」がOEM供給され「ホンダ・ジャズ」として販売される。 1993年10月、排ガス規制等の対策のため、エンジンを過流室式4JG2 3.1L過流式ディーゼルターボエンジン(インタークーラー無し)に変更。2人乗りハードカバーとガソリンエンジン車の生産中止。これにより、3グレード、ディーゼルターボ4人乗りに統合(UCS69DWM型)。内装も一新。 1995年 5ドアSUVミューウィザードの追加にあわせ、SとXの2グレードに整理。 1997年 ディーゼルエンジンの燃料噴射システムを電子制御式に変更。 1998年5月 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1998年6月 2代目と入れ替わる形で販売終了。
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