初代 M10型とは? わかりやすく解説

初代 M10型(1982年-1988年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 13:58 UTC 版)

日産・プレーリー」の記事における「初代 M10型(1982年-1988年)」の解説

1988年9月発売キャッチコピーは「シーマBe-1素敵でしたでも、私の日産プレーリーです。」「セダン新し考え方」「NEW BALANCE PRAIRIE」。ブルーバードベース開発された。後席スライドドア踏襲したが、センターピラーを持つ構造となる。当初は2.0LのCA20S型のみで、グレードもJ系(J-6J-7、J-8)とM系(M-5、M-7)の2種類と、初代デビュー時比べて大幅に簡略化されている。A/Tが4速化される初代シート配置シリーズ分けていたが、2代目では豪華装備のJ系に対して廉価仕様のM系という分け方をされていた(アルファベット後の数字乗車定員)。このため2列シート仕様M-5のみとなり、一般ユーザーにとっては選びくいものになってしまった。M-5カタログ上で商用車想定したようなグレードでもあった。ベースとなったブルーバード採用していたストラット式リヤサスペンションを受け継いでいるため、このストラット・タワー部が3列目の居住空間狭めていた。先代大きな弱点であったエクステリアはかなり洗練されスタイリッシュな見た目になったものの、パッケージング中途半端さにより、依然人気売り上げ共に低迷した1989年5月特別仕様車「アウトドアバージョン」発売1989年9月、A/Tシフトロック変更およびオーディオフェーダー機構変更1990年9月直4 2.4L OHC KA24E型を搭載した240 G-5」と、「240 G-7」の240G系が追加される。これらは5人乗りと7人乗りで装備の差は特になく、北米向けモデル国内基準合わせた仕様したもの1993年北米クエスト発売されたため北米仕様前期型のみとなったちなみに北米での販売名アクセス(Axxess )と名付けられていた。 1993年5月11日 日産自動車創立60周年記念した特別仕様車「60th ANNIVERSARY」の第二弾として、「J7」および「J7アテーサ」をベースに14インチアルミロードホイールなどを標準装備した「J7 60th ANNIVERSARY」、「J7アテーサ 60th ANNIVERSARY」を発売。なお、この特別仕様車同年7月末までの期間限定販売となる。 1994年1月27日J7 Olé!」「J7アテーサ Olé!」を追加1994年9月2日 「240G7 ViVid」、「240G7アテーサ ViVid」を追加1995年2月、「RVリミテッド設定1995年8月限りなくフルモデルチェンジに近い大規模なマイナーチェンジ実施し車名を「プレーリージョイ」に変更北米向け考慮する必要がなくなったことから、日本国内市場特化し一般消費者には不評であったスタイルの変更中心にリサーチ結果をできる限り盛り込むこととなったキャッチコピーは「日本家族考えて考えました」「ライフフィットワゴン」。 リアオーバーハングを延長し車内拡大するとともにフロント部分は、以前スムーズなワンモーションフォルムから一転して、R50系テラノにも通じる、RV風のボリュームのあるものとするなど、大幅に変更しグレード名に「ジョイ」を冠することから営業上の車名も「プレーリージョイ(Prairie joy) 」とした(正式な車名プレーリーのまま)。時流乗り純正エアロパーツ装着の「エアロエクスプレス」というグレード設定された。2.0LエンジンはCA20S型からSR20DE型へと世代交代され4速A/Tのみが組み合わされる。また、北米でのスタンダードであった2.4Lエンジンと、初代からの特徴でもあった、コラムシフトベンチシート廃止されたが運転席SRSエアバッグ全車標準装備となる。リアサスペンションは同じ日産ステーションワゴンW10型アベニール同様2WD車がトーションビーム式トレーリングアーム4WD車は5リンクとなる。これにより従来型にあったストラット・タワー部の張り出しなくなり3列目の居住空間改善された。 この変更で、特にスタイリングについては識者マニアからは大変な不評をかったが、日産目論見どおりファミリー層や高齢層の支持得て販売台数一気増加した。しかし、ジョイになってから極端な営業車並み仕様消え当時日産安全基準合わせた安全装備や快適装備増え低価格200万円近く値上がりしたためプレーリージョイより車格上でありながらほとんど売れ筋グレード価格に差がないホンダ・オデッセイやのちに発売され三菱シャリオグランディスには勝てなかった。 1996年4月8日 ジョイ7人乗りベースとして、エアロパーツ中心にドレスアップ図った特別仕様車「エアロエクスプレス」を発売1996年9月3日 ジョイ7人乗りベースとして、ABS電動ガラスツインサンルーフなどを標準装備した特別仕様車「ジョイリミテッド」を発売1997年5月一部改良主な変更点は「助手席エアバッグABS標準装備化」、「車内抗菌化(インナーグリーン)」、「UVカット断熱グリーンガラス採用」、「テールゲートガラスハッチ採用」など。 尚、ガラスハッチ次のM12型にも引き続き採用された。 1998年10月生産終了在庫応分のみの販売となる。 1998年11月リバティのサブネームを付けた3代目入れ替わって販売終了前期型 240 G-5(リアジョイリア

※この「初代 M10型(1982年-1988年)」の解説は、「日産・プレーリー」の解説の一部です。
「初代 M10型(1982年-1988年)」を含む「日産・プレーリー」の記事については、「日産・プレーリー」の概要を参照ください。

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