初代 M10型(1982年-1988年)
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「日産・プレーリー」の記事における「初代 M10型(1982年-1988年)」の解説
1988年9月発売。キャッチコピーは「シーマもBe-1も素敵でした。でも、私の日産はプレーリーです。」「セダンの新しい考え方」「NEW BALANCE PRAIRIE」。ブルーバードをベースに開発された。後席スライドドアは踏襲したが、センターピラーを持つ構造となる。当初は2.0LのCA20S型のみで、グレードもJ系(J-6、J-7、J-8)とM系(M-5、M-7)の2種類と、初代デビュー時に比べて大幅に簡略化されている。A/Tが4速化される。初代はシート配置でシリーズを分けていたが、2代目では豪華装備のJ系に対して廉価仕様のM系という分け方をされていた(アルファベット後の数字は乗車定員)。このため、2列シート仕様はM-5のみとなり、一般ユーザーにとっては選びにくいものになってしまった。M-5はカタログ上では商用車を想定したようなグレードでもあった。ベースとなったブルーバードが採用していたストラット式リヤサスペンションを受け継いでいるため、このストラット・タワー部が3列目の居住空間を狭めていた。先代の大きな弱点であったエクステリアはかなり洗練され、スタイリッシュな見た目になったものの、パッケージングの中途半端さにより、依然人気、売り上げ共に低迷した。 1989年5月、特別仕様車「アウトドアバージョン」発売。 1989年9月、A/Tシフトロック変更およびオーディオフェーダー機構変更。 1990年9月、直4 2.4L OHC KA24E型を搭載した「240 G-5」と、「240 G-7」の240G系が追加される。これらは5人乗りと7人乗りでの装備の差は特になく、北米向けモデルを国内の基準に合わせた仕様としたもの。 1993年に北米でクエストが発売されたため北米仕様は前期型のみとなった。ちなみに北米での販売名はアクセス(Axxess )と名付けられていた。 1993年5月11日 日産自動車創立60周年を記念した特別仕様車「60th ANNIVERSARY」の第二弾として、「J7」および「J7アテーサ」をベースに14インチアルミロードホイールなどを標準装備した「J7 60th ANNIVERSARY」、「J7アテーサ 60th ANNIVERSARY」を発売。なお、この特別仕様車は同年7月末までの期間限定販売となる。 1994年1月27日 「J7 Olé!」「J7アテーサ Olé!」を追加。 1994年9月2日 「240G7 ViVid」、「240G7アテーサ ViVid」を追加。 1995年2月、「RVリミテッド」設定。 1995年8月、限りなくフルモデルチェンジに近い大規模なマイナーチェンジを実施し、車名を「プレーリージョイ」に変更。北米向けを考慮する必要がなくなったことから、日本国内市場に特化し、一般消費者には不評であったスタイルの変更を中心に、リサーチ結果をできる限り盛り込むこととなった。キャッチコピーは「日本の家族を考えて考えました」「ライフフィットワゴン」。 リアオーバーハングを延長し、車内を拡大するとともに、フロント部分は、以前のスムーズなワンモーションフォルムから一転して、R50系テラノにも通じる、RV風のボリュームのあるものとするなど、大幅に変更し、グレード名に「ジョイ」を冠することから営業上の車名も「プレーリージョイ(Prairie joy) 」とした(正式な車名はプレーリーのまま)。時流に乗り、純正エアロパーツ装着の「エアロエクスプレス」というグレードも設定された。2.0LエンジンはCA20S型からSR20DE型へと世代交代され4速A/Tのみが組み合わされる。また、北米でのスタンダードであった2.4Lエンジンと、初代からの特徴でもあった、コラムシフトやベンチシートが廃止されたが運転席SRSエアバッグが全車標準装備となる。リアサスペンションは同じ日産のステーションワゴンW10型アベニール同様2WD車がトーションビーム式トレーリングアーム、4WD車は5リンクとなる。これにより従来型にあったストラット・タワー部の張り出しがなくなり3列目の居住空間が改善された。 この変更で、特にスタイリングについては識者やマニアからは大変な不評をかったが、日産の目論見どおりファミリー層や高齢層の支持を得て、販売台数は一気に増加した。しかし、ジョイになってから極端な営業車並みの仕様は消え、当時の日産の安全基準に合わせた安全装備や快適装備も増え最低価格も200万円近くに値上がりしたためプレーリージョイより車格が上でありながらほとんど売れ筋グレードの価格に差がないホンダ・オデッセイやのちに発売された三菱・シャリオグランディスには勝てなかった。 1996年4月8日 ジョイ7人乗りをベースとして、エアロパーツを中心にドレスアップを図った特別仕様車「エアロエクスプレス」を発売。 1996年9月3日 ジョイ7人乗りをベースとして、ABSや電動ガラスツインサンルーフなどを標準装備した特別仕様車「ジョイリミテッド」を発売。 1997年5月、一部改良。主な変更点は「助手席エアバッグ&ABSの標準装備化」、「車内の抗菌化(インナーグリーン)」、「UVカット断熱グリーンガラス採用」、「テールゲートにガラスハッチを採用」など。 尚、ガラスハッチは次のM12型にも引き続き採用された。 1998年10月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1998年11月、リバティのサブネームを付けた3代目と入れ替わって販売終了。 前期型 240 G-5(リア) ジョイ(リア)
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