切れぬ木
『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』 逢坂山の関守・関兵衛の正体は、大悪人・大伴黒主であった。冬の夜、彼は盃に映る星影を見て、「今宵、墨染桜を切って護摩木となし、班足太子の塚の神を祀れば、天下を取れる」と悟る。彼は大斧で墨染桜の木を切ろうとするが、墨染桜の精に妨げられ、切ることができない。木の中から現れた墨染桜の精は、桜の1枝を武器とし、大伴黒主は大斧をふりまわして、激しく戦う。
*切っても傷口がふさがってしまう木→〔繰り返し〕1の『酉陽雑俎』巻1-33。
★2.切れぬ木を切り倒す。
『捜神記』巻18-3(通巻415話) 大勢の人夫が何日かけても切れない木がある。妖怪と木の精が「被髪した3百人の人夫が赤い着物を着、赤糸を木に巻き灰を塗れば、切れる」と話し合うのを、ある人が耳にし、その通りにすると木は倒れた。
『捜神記』巻18-5(通巻417話) 張叔高が田の中の大木を小作人に切らせるが、斧を入れると赤い液が6~7斗も流れ出たので、小作人は逃げ帰る。叔高自らが行って木を切ると血が流れ出るが、叔高はかまわず枝を払い、現れた妖怪数匹を殺して、ついに木を切り倒す。
『三国志演義』第78回 曹操が宮殿の梁とするために、人夫たちに命じて梨の巨木を切らせるが、鋸も引けず斧も入らない。曹操自らが剣で切りつけると、血が彼の全身にそそぎかかる。曹操は木の神のたたりで激しい頭痛を病み、それがもとで死ぬ。
『煤煙』(森田草平)3 要吉の祖父は、岐阜の某村の庄屋だった。祖父は若い頃、血気にまかせて、斎藤道三のたたりがあるという「道三松」を伐り倒した。すると切り口から血が噴き出し、祖父はその場に卒倒した。40日余り病んだ末に、祖父は31歳で死んだ。
人喰い松の伝説 昭和5年(1930)、渋谷の神宮通りにある松の木を、区画整理のため近くへ移転させる計画が起こった。ところが、推進者の1人は移転地相談の夜に転んで肋骨を折り、移転の発起人もまた罹病した。その前後、木の枝を切った一家7名が死亡したり、木に悪戯した数人が病気や怪我をしたので、「人喰い松」と呼んで大騒ぎになった。町民が供養し、木は翌年無事移転した(東京都渋谷区)。
あこやの松の伝説 千歳山の麓に住むあこや姫のもとに、毎夜、「名取左衛門太郎」と名のる青年が訪れる。ある時青年は、「自分の正体は千歳山の老松である」と打ち明けて、別れを告げる。老松は名取川架橋のために切り倒され、多数の人馬が引いても動かない。しかし、あこや姫が松に手をかけると動き出す(山形県山形市)。
『三国伝記』巻7-27 千手観音像を彫るべき霊木を運ぶ途中、惣持寺のあたりで動かなくなる。山蔭中納言が霊木に「此処に跡を垂れんと欲するならば、願わくは軽く挙るべし」と語りかけると、木はもとどおり軽く挙った。
『三十三間堂棟由来』 柳の木の精であるお柳は平太郎の妻となって、一子みどり丸を得る。しかし、みどり丸が5歳の時、柳の木は三十三間堂の棟木とするために切り倒され、お柳は姿を消してしまう。人夫たちが柳の木に綱をかけて引くが一向に動かず、みどり丸が引くと木は動き出す。
『荘子』「人間世篇」第4 大工の棟梁の石が斉の国で、幹が百かかえもあるほどの巨木を見るが、そのまま通り過ぎる。弟子が「立派な材木だ」と言うと、石は「あれで舟を造れば沈むし、柱にすれば虫がわく。使い道のない木だからこそ、あんな大木になるまで長生きできたのだ」と教える。
『荘子』「山木篇」第20 荘子が山中で枝葉の繁った大木を見る。樵夫がその傍らで立ち止まるが、「使いようがない」と言って伐採しない。荘子は「この木は役立たずゆえ、天寿を全うできるのだ」と言う。
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