出典に関する注釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:56 UTC 版)
「第一次世界大戦の犠牲者」の記事における「出典に関する注釈」の解説
戦闘員および民間人の戦死没者の出典として用いた情報源は下記の通り。(ただし次項の「脚注」において記載されているものを除く) コモンウェルス戦争墓地委員会 (CWGC) の2009年度および2010年度の年次報告書は、イギリス帝国における戦闘員の戦死者数に関する情報源である。同報告書に記載された戦死者数合計の数値は、イギリス連邦における戦死者の識別および追悼のために行われた戦争墓地委員会による調査結果に基づくものである。コモンウェルス戦争墓地委員会によって集計された統計には、追悼の対象となるイギリス連邦構成国の軍隊における民間人功労者やイギリスの旧属国であった国家において軍役に従事した者も含まれている。いくつかの協力機関や民間機関では、ある一定の条件の下に死亡の結果が生じた場合に戦争墓地に埋葬される地位を認めている。コモンウェルス戦争墓地委員会では、第一次世界大戦における戦没者の認定の条件として、1914年8月4日から1921年8月31日までの期間に亡くなった者をイギリス連邦における戦死者として認定している。第一次世界大戦における戦没者の合計は111万5597人(イギリスおよびイギリス領植民地:88万6939人、イギリス領インド帝国:7万4187人、カナダ:6万4976人、ニュージーランド:1万8052人、南アフリカ:9477人)である。上記の数字には商船隊(英語版)の被害も含む。 Statistics of the Military Effort of the British Empire During the Great War 1914-1920, The War Office March 1922.この公式資料によると、1914年8月4日から1920年12月31日までの期間において、90万8371人の戦闘員が作戦行動中に戦死、戦傷死、捕虜の待遇において死亡、または、作戦行動中に行方不明となったとされる。(ブリテン諸島:70万2410人、インド:6万4449人、カナダ:5万6639人、オーストラリア:5万9330人、ニュージーランド:1万6711人、南アフリカ:7121人、ニューファンドランド:1204人、その他の植民地:507人)また、この数値にはイギリス海軍における戦死および行方不明者3万2287人が含まれている。なお、この数値には、別に記録されているイギリス商船隊における1万4661人の戦死者は含まれていない。イギリス陸軍航空隊、イギリス空軍、および、イギリス海軍航空隊における戦死者の数値は、戦死者合計に含まれており、戦争局の報告書には個別に記録されてはいない。なお、ブルガリアおよびポルトガルにおける戦没者は、イギリス陸軍省の報告書に記載されている。 テリトリアルを含めたイギリス陸軍(イギリス帝国の各植民地軍は含まれない)における公式な「最終的かつ訂正済みの」犠牲者の数値は1921年3月10日に発表された。それによると、1914年8月4日から1919年9月30日までの期間において、67万3375人の戦死および行方不明者(作戦行動中に死亡、戦傷により死亡、その他の死因による戦死者:57万3507人、行方不明者:25万4176人、その内、解放された捕虜:15万4308人)が記録されている。また、報告書には164万3469人の戦傷者が記録されている。 Casualties and Medical Statistics published in 1931. は Official Medical History of the War の最終巻であり、イギリス帝国軍における死因別の戦没者数に関する出典元である。1914年から1918年までの戦闘区域における戦没者の合計は、87万6084人(内、戦死者:41万8361人、戦傷を死因とする戦没者:16万7172人、戦病死・負傷者:11万3173人、行方不明者・推定死亡者:16万1046人、捕虜における戦死者:1万6332人)である。上記の数値は報告が不正確であり、ガリポリの戦いにおける自治領軍隊における犠牲者は含まれていない。また、イギリス海軍における犠牲者数は含まれていない。 Huber, Michel La Population de la France pendant la guerre, Paris 1931.カーネギー国際平和財団 (Carnegie Endowment for International Peace) によって公表された調査報告書は、フランス本国および植民地における戦争を原因とする死亡者および行方不明者に関するフランス政府の公式数値が掲載されている。 Mortara, Giorgo La Salute pubblica in Italia durante e dopo la Guerra, New Haven: Yale University Press 1925.イタリアにおける戦争犠牲者に関する統計として、イタリア政府による公式資料を用いた。統計データの概要はオンライン上で入手することができる。 Urlanis, Boris Wars and Population, Moscow, 1971. Lists the military dead of Russia, Greece, Serbia and Montenegro各国における戦争によって犠牲となった者(戦死者、行方不明者等)に関する出典である。 Heeres-Sanitatsinspektion im Reichskriegsministeriums, Sanitatsbericht uber das deutsche Heer, (Deutsches Feld- und Besatzungsheer), im Weltkriege 1914-1918, Volume 3, Sec. 1, Berlin 1934. は戦時下におけるドイツ軍の医療に関わる報告書であり、ドイツ軍における戦死者等の情報に関する出典元である。 Grebler, Leo and Winkler, Wilhelm The Cost of the World War to Germany and Austria-Hungary この研究報告書はカーネギー国際平和財団によって作成されたものであり、第一次世界大戦におけるドイツおよびオーストリア=ハンガリーの犠牲者に関する詳細が記載されている。 Erickson, Edward J. Ordered to Die: A History of the Ottoman Army in the First World War。 Hersch, Liebmann, La mortalite causee par la guerre mondiale, Metron- The International Review of Statistics, 1927, Vol 7. No 1. この調査は学術誌で発表され、フランス、イギリス、イタリア、ベルギー、ポルトガル、セルビア、ルーマニア、ギリシャにおける戦争が人口層に与えた影響について詳述している。全体の戦死没者数はスペインかぜによる死亡者98万4000人を除外した、戦争による民間人戦没者217万1000人分増加すると見ている。間接の戦争犠牲者の死因は第一には貿易の途絶がもたらした食糧不足である。貿易の途絶が唯一の原因ではなく、戦争による動員によって農業労働力から数百万もの男性を根こそぎ奪っていたことも要因となっている。 Dumas, Samuel (1923). Losses of Life Caused by War. Oxford- この調査は学術誌出版社にて発表され、戦争が民間人人口に与えた影響について詳述している。同調査では各国の民間人過剰死亡数が掲載されている。フランス(26万4000から28万4000人)、イギリス(18万1000人)、イタリア(32万4000人)、ドイツ(69万2000人) Tucker, Spencer C. ed. The European Powers in the First World War: An Encyclopedia これは他で言及されていない戦傷者数に関する出典である。オスマン帝国における民間人死亡者数に関する出典も含まれている。 上記の資料のほかに、各国の人口に関する出典元として下記の資料を用いた。 Haythornthwaite, Philip J., The World War One Source Book Arms and Armour, 1993, 412 pages, ISBN 978-1-85409-102-4.
※この「出典に関する注釈」の解説は、「第一次世界大戦の犠牲者」の解説の一部です。
「出典に関する注釈」を含む「第一次世界大戦の犠牲者」の記事については、「第一次世界大戦の犠牲者」の概要を参照ください。
- 出典に関する注釈のページへのリンク