再婚問題と不安定な立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:58 UTC 版)
「キャサリン・オブ・アラゴン」の記事における「再婚問題と不安定な立場」の解説
2人の結婚に先立ち、ヘンリー7世の三男エドマンド王子も夭折している。従って、テューダー家の後継者の男子は次男ヘンリーのみとなり、ヘンリー7世は王朝の安泰とスペインおよびハプスブルク家との関係をこの次男に託すこととなった。 第二次イタリア戦争において、イングランドの援軍を期待していたキャサリンの両親もアーサーの逝去に動揺する。そしてイングランド側に対し、持参金の返還と結婚に伴って得た資産(寡婦財産)の引渡しを求める一方、ヘンリー王子との縁組を進めるよう働きかけた。 夫を失い、また両親からの直接の慰めの手紙もなく、失意のキャサリンは、ロンドンのダラム司教館で、孤立しながらも静かに暮らすこととなった。唯一の慰めは、アーサーの弟妹たちの訪問だった。 当時、若い未亡人は持参金とともに帰国するのが常識だったが、ヘンリー7世側も巨額の持参金の返却を惜しんだ下心から、ヘンリー王子との婚約を持ちかけた。 キャサリンがヘンリー王子と再婚するにあたり、アーサーと肉体関係があったか否かが重要となった。これは兄弟の妻と肉体関係を持つことを禁じた旧約聖書『レビ記』18章16節や20章21節に抵触するためである。デ・プエブラはこの事実の確認にあたり、新床に祝福を与えたジェラルディニ神父は「関係はあった」としたが、女官長マヌエル夫人は「関係はなかった」とし、ヘンリー王子との再婚を望むイサベル女王は後者を信頼した。背景にはダラム司教館における権力闘争があったが、デ・プエブラは失脚し、ジェラルディニは帰国する事態になった。キャサリンはジェラルディニを失ったことを悲しみ、同胞スペイン人にも警戒しなければならないことを認識した。マヌエル夫人の言を逆手に取ったヘンリー7世は、寡婦財産も生活費も渡す必要はないとし、さらにスペイン側もイタリア戦争の軍事費から金銭援助を行わず、キャサリンは経済的に困窮する中で、マヌエル夫人と信仰に依存せざるを得なくなる。 ヘンリー7世にとってこの縁組は本意ではなく、再婚問題を先延ばししつつ、翌1503年にエリザベス王妃が産褥死すると、キャサリンを自身の後妻に要求した。さすがに厚顔無恥なこの申し出にスペイン側が硬化し、イサベル女王は激怒する手紙をデ・プエブラへ送っている。第二次イタリア戦争で優勢なスペインに対し、ヘンリー7世はこの要求をただちに取り下げる一方、正式にヘンリー王子との婚約が決定された。こうして、1503年6月23日、ヘンリー王子との婚約がイングランド・スペイン双方の合意で成立した。婚約式において、アーサーとの結婚は成立していないことを根拠に教皇に結婚の許可を申請することが決定され、また婚礼はヘンリーが15歳に達し、残りの持参金が支払われた時点で行われることとなった。 キャサリンはやがて病気がちになり、婚約者ヘンリー王子の訪問を心待ちにするようになった。一方のヘンリー王子も、兄嫁への憧憬は愛情に変わっていった。第二次イタリア戦争での勝利を理由に、スペイン側は教皇からの許可に圧力をかけるが、許可は降りないまま1年余りが経過する。死期の近付いたイサベル女王は、教皇ユリウス2世からの特免状(勅書)を非公開の条件で取り寄せ、そして教皇の意に反して公開して娘に王妃の地位を確保し、1504年11月26日に崩御した。 この頃、スペイン国内情勢もイサベル女王の崩御から、カスティーリャ王位を継承したフェリペ1世とフアナ夫妻に対し、フアナとキャサリンの父であるアラゴン王フェルナンド2世が対立し混乱が起きていた。マヌエル夫人は、フェリペ1世とヘンリー7世の対面の機会を作るため、キャサリンの姉フアナへの思慕を利用しようとしたが、キャサリンはこの事件を契機に、マヌエル夫人を解雇した。その後、1506年9月26日にフェリペ1世が急死するとフアナが発狂したため、フェルナンド2世はスペインにおける実権を取り戻し、1507年7月にキャサリンを駐イングランド大使に任命するとともに初めて金銭的援助を行った。 父王ヘンリー7世は持参金の残額が未払いだったことと『レビ記』のタブーから、結婚を許可しなかった。大使になったキャサリンは、今や苦境にあるスペインの立場を自覚する。しかし後任の駐イングランド大使ゴメツ・デ・フエンサリダはヘンリー7世の不興を買い、またキャサリンの侍女たちの不遇を煽って対立させる。ヘンリー王子との結婚を諦めることはないキャサリンに、スペイン人の従者たちは反抗心を示し、イングランド人からも疎遠にされていった。
※この「再婚問題と不安定な立場」の解説は、「キャサリン・オブ・アラゴン」の解説の一部です。
「再婚問題と不安定な立場」を含む「キャサリン・オブ・アラゴン」の記事については、「キャサリン・オブ・アラゴン」の概要を参照ください。
- 再婚問題と不安定な立場のページへのリンク