再婚と海外脱出
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その後、手記を出版するために熱海市の旅館に缶詰となる。その本は3人の子供たちに捧げられており、『遺しておきたいこと-女・愛・生・死-』(青春出版社)として出版され、13万5千部を売るベストセラーとなった。 『報道特集』のインタビューを収録したきっかけで知り合ったTBSテレビのディレクターへ「ニュージーランドでFと結婚式を挙げるため、こっそり日本を出たいので協力して欲しい」と相談を持ち掛け、三恵子とFは12月1日、TBSのスタッフと極秘にニュージーランドに到着、翌々日にクライストチャーチ市のセント・バルナバス教会で新郎新婦の二人だけの式を挙げた。ところが帰国する段階になって三恵子は「この国が気に入ったので、しばらく滞在したい」と言い出し、テレビクルーだけが日本に帰ることになった。日本では榎本三恵子が結婚するというニュースがすでに公になっており、成田空港には二人の到着を待つ他のテレビ局が出動する騒ぎになったが空振りに終わった。その結婚式の模様は『報道特集』(1981年12月12日)で放送された。 ところが12月末、この結婚式の時のFの写真を週刊誌で見て、この男から詐欺にあったという被害者が現れ警視庁に告発する騒ぎとなった。不動産業者からコンサルタント料の債権取り立てを依頼されたFが、相手方から4百万円の和解金を受け取りながら、その金を依頼主に渡さず姿をくらましたというものだった。 ニュージーランドで二人はオークランド市から車で10分ほどの所の高級住宅地に家を借りて、釣りをしたり泳いだりの優雅な生活を送った。二人が日本へ帰ってきたのは約一年後の1982年10月20日で、成田で待ち構えていた報道陣に、すでに夫が告訴されているのも知っていると語った。その後すぐ事情聴取ということでFは警視庁に呼ばれ、そのまま逮捕されてしまい、三恵子はかつて榎本敏夫が入った小菅の東京拘置所に差し入れに通う日々を送った。この突然の逮捕には、三恵子は田中側からの圧力があったのではといぶかっている。しかし12月24日、保釈されたFを三恵子は迎えには行かずに電話で別れ話を切り出し、その後二人は直に会い離婚することで合意する。離婚の理由としては「子供たちを引き取って母親として生きたいから」というものだった。しかし正式には入籍していなかったので内縁関係の解消ということであった。
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