再婚と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 06:33 UTC 版)
「ステファニー・ド・ベルジック」の記事における「再婚と晩年」の解説
1900年3月22日、ステファニーはトリエステのミラマル城において、ハンガリー貴族のローニャイ・エレメール伯爵(Elemér Lónyay)と身分違いの再婚をした。レオポルド2世は娘の再婚を責めたが、オーストリア皇帝カール1世は1917年にローニャイ伯爵を侯爵(フュルスト)に陞爵させている。ステファニーは1906年、ローニャイ伯爵の居城オロスヴァール城(モション県ルソウツェ村、現スロバキア・ブラチスラヴァ市5区ルソウツェ街区)で後半生を送った。ステファニーは前夫ルドルフから性病をうつされたため不妊となっており、ローニャイとの間に子をもうけることはできなかったが、夫妻は幸福に暮らした。 1945年に赤軍が迫ると、夫妻はパンノンハルマの大修道院に避難し、ステファニーは同年8月23日に同修道院で亡くなった。
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