ハプスブルク家との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:54 UTC 版)
「オーストリア国民党」の記事における「ハプスブルク家との関係」の解説
オーストリア国民党は決して君主主義政党ではないが、1945年の結党以来、今日に至るまで王党派を支持層の一部として抱えているため、歴史的にハプスブルク家に対して同情的な態度をとってきた。 先述のように、1960年代の元皇太子オットー・フォン・ハプスブルクの帰国の是非をめぐる論争では、オットーの帰国を認める立場であった。1996年3月にフェリックス・ハプスブルク=ロートリンゲンがオーストリアに「不法入国」した際には、ハプスブルク法の即時撤廃を主張した。1996年10月の欧州議会議員選挙では、オットーの長男カール・ハプスブルク=ロートリンゲンを国民党の候補者として公認した。2009年には、ウルリッヒ・ハプスブルク=ロートリンゲンが法的問題により大統領選挙に出馬できなかった問題を受けて、ハプスブルク一族の被選挙権を認めないハプスブルク条項を「時代錯誤」であるとして撤廃に向けて動いた。 2019年現在の政治状況では、君主主義者たちは国民党との繋がりを求める可能性が最も高いとされる。
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