ハプスブルク家による統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:53 UTC 版)
1335年、ゲルツ伯家のハインリヒ6世が没し、唯一の女子マルガレーテ・マウルタッシュが伯位を継承したが(チロル女伯)、領土の相続をめぐってルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家、ハプスブルク家が介入し、混迷に陥った。このような経緯からか、チロルには谷ごとに独立した自治共同体が存在した。 1363年、ハプスブルク家のオーストリア公ルドルフ4世は、マルガレーテを退位させて強引にチロル伯領を継承、以後チロル地方はハプスブルク家の統治下におかれる。「チロル伯領」の首都は、1418年にメラーノに移転し、ついでインスブルックに移る(ただし公式には1848年までメラーノが首都であった)。 15世紀後半のマクシミリアン1世の治世時には銀や銅、塩の鉱山が点在していたことから、ハプスブルク家は莫大な収益を上げていた。
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