ハプスブルク家の支配以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 06:30 UTC 版)
「ティローロ」の記事における「ハプスブルク家の支配以後」の解説
14世紀、ティロール城の黄金時代は終焉を迎える。1335年、ゲルツ伯家のハインリヒ6世が没し、唯一の女子マルガレーテが伯位を継承したが(ティロール女伯)、領土の相続をめぐってルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家、ハプスブルク家が介入し、混迷に陥った。1363年、ハプスブルク家のオーストリア公ルドルフ4世は、マルガレーテを退位させて強引にティロール伯領を継承、以後ティロール地方はハプスブルク家の統治下におかれる。「ティロール伯領」の首都は、1418年にメラーノに移転し、ついでインスブルックに移る(ただし公式には1848年までメラーノが首都であった)。 ティロール城は衰微し、採石場として用いられることもあった。19世紀初頭、バイエルン王国が短期間ティロールを併合した際に、城は安い値段で売り払われた。19世紀に、メラーノの町がティロール城を買い取り、のちに皇帝フランツ2世に献上された。 第一次世界大戦後、この地はイタリア王国領となり、ティロール城はイタリアの国有財産となった。1974年にティロール城の所有権は地元ボルツァーノ自治県に譲渡された。1990年に県立考古学博物館委員会に移譲され、ボルツァーノ県立歴史文化博物館が開館した。
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