ハプスブルク家の継承問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 15:43 UTC 版)
「オーストリア継承戦争」の記事における「ハプスブルク家の継承問題」の解説
詳細は「国事詔書」を参照 神聖ローマ皇帝カール6世は男子に恵まれず、長年後継者に悩んでいた。女子の相続を認める国事詔書を1713年に発布し、その後に生まれた娘のマリア・テレジアにハプスブルク家領(オーストリアをはじめとするハプスブルク帝国)を継がせるため、いくらかの譲歩を行ってフランスなど欧州主要国にこの詔書を認めさせた。
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