ハプスブルク家との抗争とスイスの政治的独立とは? わかりやすく解説

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ハプスブルク家との抗争とスイスの政治的独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「ハプスブルク家との抗争とスイスの政治的独立」の解説

スイス建国神話として今日一般にヴィルヘルム・テル物語知られるが、これはスイス国民意識高まった15世紀中ごろ世に広まりはじめたのである考えられている。 1200年ころ、ゴッタルド峠ザンクト・ゴットハルト峠)が開削されると、多く商人がこの新しい峠を好んで利用するようになり、それまで周囲からの隔絶僻地とされてきたウーリ地方は、交通の要衝みなされるようになったホーエンシュタウフェン朝神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、この地の支配権ハプスブルク家担保として提供しイタリア政策遂行資金あてようとしたが、峠の開通比較富裕になっていたウーリ住民自力抵当解除した1231年フリードリヒ2世によってドイツ統治任されていたハインリヒ証書発給しウーリは「帝国自由」(帝国直属)の地位獲得することができた。これにより、ウーリ近隣領主支配受けず、「自由と自治」を享受できるようになった1239年には同じくシュヴィーツ地方帝国直属地位獲得した。ニトヴァルデン、オプヴァルデンの両渓谷地方合わせてウンターヴァルデンという)もウーリシュヴィーツ同等の地位願ったが、これは簡単ではなく1291年8月1日にはウーリシュヴィーツ東部のニトヴァルデンが「永久同盟」を結び、同年12月には西部のオプヴァルデンも盟約加わった1314年冬、放牧地を巡る争いからシュヴィーツアインジーデルン修道院襲撃すると、これを口実ハプスブルク家フリードリヒ3世(美王)は1315年11月15日大軍をもってスイス侵攻したが、原初三邦(ウーリシュヴィーツウンターヴァルデンスイス形成になった地域という意味でこう呼ぶ)の農民軍はモルガルテン山から奇襲攻撃により、これを壊滅したモルガルテンの戦い)。こののち12月9日には盟約更新されスイス盟約者団はさらに結束強化した14世紀には、ルツェルン1332年)、チューリヒ1351年)、グラールス1352年)、ツーク1352年)、ベルン1353年)の各地域原初三邦の盟約加わり八邦同盟時代呼ばれた。ただし、八邦同盟決し一枚岩ではなく内容も質も異な複数盟約のゆるい結合であり、すべての同盟加わっているのは原初三邦だけであったこののち14世紀から15世紀通じてスイス盟約者団とハプスブルク家との抗争続き15世紀に入るとその力関係逆転し盟約者団はハプスブルク家勢力スイスから駆逐していった1499年ハプスブルク家出身皇帝マクシミリアン1世スイス盟約者団によって古領を奪われたとして戦争仕掛けたが(シュヴァーベン戦争)、盟約者団はこれを撃退し、この勝利によって事実上神聖ローマ帝国からの独立果たした。そして、盟約者団(近世スイス英語版))は1513年のカントン・アペンツェル(英語版ドイツ語版)の加盟によって13地域結合する国家団体となり、今日スイス基本的な国家枠組みにつながる十三同盟体制確立し、この体制1798年まで維持されていった長期軍事的緊張乗り越えたスイスは、ヨーロッパ有数軍事力を持つ国家となっていた。強力な軍事力頼んでスイス当時イタリア戦争介入し一時ミラノ公国保護国化する勢威示し1513年ノヴァーラの戦いでは強大なフランス軍大敗させ、ロンバルディア地方覇権確立した。ところが、1515年ルイ12世没し名君として知られるフランソワ1世が登位すると、同年のマリニャーノの戦い英語版)では盟約者団はこの若き王に大敗北を喫し以後スイス南方向けて膨張政策を完全に断念した。しかし、フランス積極的にスイス傭兵軍事的に重視し、これを頼りにする策に転じていった。

※この「ハプスブルク家との抗争とスイスの政治的独立」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
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