ハプスブルク家と神聖ローマ帝国とは? わかりやすく解説

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ハプスブルク家と神聖ローマ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 05:22 UTC 版)

オーストリアの歴史」の記事における「ハプスブルク家と神聖ローマ帝国」の解説

詳細神聖ローマ帝国参照 1438年以降神聖ローマ皇帝オーストリア大公ハプスブルク家世襲するようになり、15世紀にはマクシミリアン1世結婚政策ブルゴーニュフランドルスペインにも家領を持つようになるマクシミリアンの孫のカールスペイン王カルロス1世となり、フランスフランソワ1世熾烈な皇帝位争いをへて神聖ローマ皇帝カール5世となったスペイン大航海時代成果として新大陸植民地有しており、ハプスブルク家は「太陽の沈まない帝国となった。 しかし、ドイツではマルティン・ルター宗教改革はじまり、神聖ローマ帝国動揺した。弟のフェルディナントモハーチの戦い敗死したラヨシュ2世からハンガリー・ボヘミア王の位を継承しハンガリーボヘミアハプスブルク家の支配下におかれた。これによってハプスブルク帝国は多民族化が進むと同時に第一次ウィーン包囲以来オスマン帝国勢力圏接すようになった1556年カール5世退位すると、息子フェリペ2世スペイン王位を継承しフェルディナントオーストリア皇帝位継承したフェルディナント1世1555年アウクスブルクの和議で兄皇帝代わりプロテスタント一定の譲歩を示す形で和解したが、以後皇帝たちはカトリック重視政策をとりプロテスタント諸侯との対立強めたカトリック強硬派フェルディナント2世即位する1618年プラハ窓外投擲事件起き三十年戦争始まったフェルディナント2世神聖ローマ帝国を「カトリック帝国」にすべく戦争推し進めるが、それにプロテスタント諸侯反発し、さらにデンマークスウェーデン介入した。さらにハプスブルク家強大化を怖れフランスカトリック国にもかかわらず介入した1648年ヴェストファーレン条約では信仰の自由諸侯の自由が認められ事実上神聖ローマ帝国実態失われハプスブルク家によるドイツ統一不可となった以降ハプスブルク家オーストリアボヘミアハンガリーなどの「家領」の支配強化し絶対君主制基礎固めて行った1683年にはオスマン帝国による第二次ウィーン包囲遭う守り抜き攻勢転じ1699年カルロヴィッツ条約結んだその結果ハンガリー全域クロアチア獲得したスペイン継承戦争ではブルボン家王位継承認めたが、南ネーデルラントミラノ公国ナポリ王国獲得したこの頃即位したカール6世には男子がいなかったため、家領不可分長子相続条件定めた国事勅書をだし、娘のマリア・テレジア後継者とした。しかし、マリア・テレジア即位すると、諸侯異議唱えプロイセン王国フリードリヒ大王シレジア侵攻した1740年にはオーストリア継承戦争起こりその結果マリア・テレジア継承承認されたがシレジア回復できなかった。 マリア・テレジア皇女マリア・アントニアフランス王太子(後のルイ16世)と婚約させ、200年来の敵対関係終結させ(外交革命)、対プロイセン包囲網結成した1756年からの七年戦争ではロシア帝国とともにプロイセン窮地追い込むものの、最終的な勝利には至らずシレジア回復にも失敗したその後ポーランド分割参加した晩年マリア・テレジア息子ヨーゼフ2世共同統治行い、彼女が没するヨーゼフ2世親政開始したヨーゼフ2世啓蒙主義影響受けて農奴制廃止などの近代化政策をとったが、広範な支持得られず、失意のなかで没した1789年フランス革命勃発するピルニッツ宣言プロイセン王とともに出しルイ16世処刑される革命介入する。さらに第一次対仏大同盟にも参加した事でフランス革命戦争へと巻込まれていったフランスでナポレオン・ボナパルト皇帝即位するアウステルリッツの戦い戦いその後バイエルン離反ライン同盟結成などドイツ諸侯帝国議会から脱退したため、フランツ2世1806年神聖ローマ皇帝退位オーストリア皇帝フランツ1世称した

※この「ハプスブルク家と神聖ローマ帝国」の解説は、「オーストリアの歴史」の解説の一部です。
「ハプスブルク家と神聖ローマ帝国」を含む「オーストリアの歴史」の記事については、「オーストリアの歴史」の概要を参照ください。

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