公家町の成立とは? わかりやすく解説

公家町の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 09:12 UTC 版)

公家町」の記事における「公家町の成立」の解説

古代都城においては天皇居住空間である内裏周辺官司関連施設配置して周囲囲み大内裏形成していたが、中世に入ると平安京の内裏荒廃し代わりに里内裏用いるようになり、南北朝時代にはそのうち1つである土御門東洞院殿内裏として固定化された。土御門東洞院殿周囲には官司更なる外周を囲む郭などは存在しなかったが、内裏周囲1町四方面積にして3町四方分)、一条大路万里小路鷹司小路烏丸小路囲まれ地域大内裏区域見立てて陣中」と称して牛車宣旨の無い者の乗り物での通行官民問わず禁じるなど大内裏内部準じた規制行った通説では内裏周辺公家集住させる計画、すなわち公家町設置豊臣秀吉京都改造伴って行われたと言われている。しかし、実際に織田政権の下で正親町天皇譲位仙洞御所造営検討されていた頃から存在していた構想であり、天正3年1575年)に織田信長正親町天皇内裏東側南側摂関家以下の公家集住させる構想披露して天皇もこれを同意している(『御湯殿上日記天正3年7月13日条)。豊臣政権の下で実際に行われた公家集住天正13年1585年)の正親町上皇仙洞御所造営並行して開始され秀吉の関白就任後に政庁としての聚楽第造営に続く寺町形成御土居建設天正地割などのつながっていく京都改造流れよりも前に位置づけられるもので、むしろ豊臣政権成立過程行われた朝廷工作1つであったとみられている。その先駆けとして、天正13年秋に近衛家邸宅が上立売から今出川移転されている。後に秀吉関白就任したことで、公家集住政策には公家朝廷勤仕する姿の可視化効果期待されるうになる続いて天正18年1590年)に八条宮家創設決定されると、内裏北側宮邸造営するために同地域に居住する公家たちの移転とそのための内裏東側公家集住地域設けた。なお、この地区は既に織田政権の頃には京都市中の荒廃によって畠や空地になっていたために公家集住先の候補挙げられており、かつて織田信長京都御馬揃え行った場所でもあった。また、内裏周囲、かつて陣中称せられた地域をほぼ囲い込むように内裏を守る惣構構築されているが、京都市中に御土居構築され時期重なるためにこの時期行われた可能性が高い(少なくて慶長年間には既に惣構存在しており、関ヶ原の戦い前哨戦となった伏見城攻防時には惣構惣門閉じられている)。また、秀吉慶長2年1597年)に聚楽第代わる施設として、内裏東南京の城京都新城)を造営しているが、高台院居宅となり、後にその跡地後水尾上皇仙洞御所造営された。 江戸幕府基本的に豊臣政権方針引き継ぎ慶長10年1605年)の内裏改築慶長16年1611年)の後陽成上皇仙洞御所造営と共に対象地にあった公家屋敷寺院町家の上地と移転進め公家集住地区が更に東側広がったこの頃まで、公家集住進められている中でも武家町人住居混在していた)。更に従来惣構拡張する形で新たな惣構設けられ惣構内側――すなわり、公家町面積広げられることになった惣構拡大寛永年間にはほぼ完了し寺町通烏丸通・北土御門通・相国寺石橋南町筋に囲まれ範囲固定化された。公家集住地域陣中外側広げられ、更にその外側惣構囲まれたことにより、陣石と呼ばれる目印置かれいたもの架空概念に近い存在であった陣中に代わって惣構とそれに付属する惣門内裏囲う外郭認識されて「惣門之内」と称せられた。そして、遅くて万治年間までには戦国的な名残を残す惣構は「築地」と呼ばれるようになり、「惣門之内」から「築地之内」と呼ばれるようになり、「築地之内」が公家町別称として定着する承応2年1653年)の火災内裏焼失しその後も度々公家町火災見舞われた。そして、宝永5年1708年)の火災内裏仙洞御所含めた公家町のほぼ全域焼失したのを機に公家町内部に道を通すとともに一部公家屋敷惣構築地)の南隣に移転させて事実上の「築地之内」への編入を行う(火除地用の空地含めると、公家町自体丸太町通まで南へ拡がることになる)など大改造行った(なお、南側広げた背景には北側相国寺敷地隣接してこれ以上拡大不可であったことが挙げられる)。寺町通烏丸通丸太町通今出川通囲まれ明治以降京都御苑に繋がる公家町範囲がこの時点確立したと言える(なお、寺町通東側一部などはその後収容しきれなかった公家屋敷配置されている)。

※この「公家町の成立」の解説は、「公家町」の解説の一部です。
「公家町の成立」を含む「公家町」の記事については、「公家町」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「公家町の成立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「公家町の成立」の関連用語

1
6% |||||

公家町の成立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



公家町の成立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの公家町 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS