公家町の実像とは? わかりやすく解説

公家町の実像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 09:12 UTC 版)

公家町」の記事における「公家町の実像」の解説

もっとも、織田政権豊臣政権徳川政権江戸幕府)が公家たちを集住させることで公家町という閉鎖的な空間閉じ込めていたというのは事実ではない。というよりも、実際に公家町住めなかった公家大勢いたのである関ヶ原の戦い直後徳川家康先に家康計らい勅勘解かれ京都帰還許され山科家冷泉家四条家屋敷公家町北側与えた。これは西軍について滅亡した大谷吉継の母(東殿)や原勝胤などの旧屋敷地接収したものであった。これは公家町中に既に新たな屋敷地確保できなくなったことが背景にあったとされる(なお、これらの屋敷慶長公家町拡大の際に新たな区画に再移転している)。 その後慶長年間から寛永年間にかけて公家町拡大しているものの、それ以上新家創設多かった豊臣政権下の文禄年間から寛永年間にかけて50もの新家創設されたものの、その2/3にあたる33家が築地之内、すなわち公家町屋敷を持つことが出来なかった(当時絵図からは公家町のうち御所除いた屋敷地の7割近く皇族摂家清華家旧家占められている)。また、公家町内側屋敷持てた新家寛永年間当時院政行っていた後水尾上皇院参衆などに限られた寛永7年1630年)に後水尾上皇仙洞御所完成した際に御所南側に院の後宮皇女邸宅造営されとともに院参衆への屋敷地拝領が行われた)。 このため公家町住めなかった公家天皇や院(実際の手続は京都所司代)から屋敷地拝領するか、他の公家何らかの事情屋敷地手放さない限りは、親族屋敷同居するか、公家町に近い町人地土地購入して屋敷建てるか、借家をするしかなかったのである。更に公家町屋敷地所有していても、経済的な問題から他の公家屋敷地売却して築地の外で借家暮らしをする公家存在していた。特に近世になってから朝廷運営の必要上行われた新家創設対し知行地屋敷地割り当て遅れていた。 また、縁戚大名がいて経済的な援助受けられるとこうした援助望め知行地からの収入頼りの家では火災などによって屋敷失われた時の対応に大きく差が出ており、享保年間になると、大名縁戚を持つ公家家格合わない豪華な屋敷造営し幕府規制乗り出す一方築地之内に屋敷地を持つ公家火災焼けた屋敷再建諦めて町人地住んでしまったために空洞化進んでいる状況対応するために幕府空洞化した屋敷地の上地を計画するものの、公家間の売買による屋敷地権利移転朝廷幕府把握していなかったために、上地対象地確定できずに失敗するという事態も生じている。 幕府公家居住に関して家業との関係で知行地に住まざるを得ない家は例外として、朝廷への勤仕との関連から公家町またはその周辺居住するのが望ましいとする考えであったため、京都所司代京都大火発生してその後土地整理問題発生した時などに武家伝奏相談しながら、公家町周辺にある寺院町人の住む土地上地して事実上公家町への編入を行う形で公家町その周辺屋敷地持たない公家新たな屋敷地拝領できるように動くなどの対応を取った実際万治4年1661年)の火災焼けた伏見宮家二条家築地外側である今出川通北側移転している)。その一方で穢れとの関係で寺院墓地跡地近隣屋敷地望まない公家多かったため、幕府その主張認めて屋敷地変更や土の入れ替え工事実施などを行うなどの必要があった。しかも、公家町公家屋敷密集し過ぎて火除地の不足や通路狭さ招いて火災に弱いためにそれらを広げる措置にも乗り出さなければならない など解決しなければならない問題多く全ての公家公家町その周辺集住させる方針達成させることは出来なかった。そのため、公家町その周辺居住できない公家京都市であれば居住認められていたが、その一方で公家屋敷京都町奉行管轄下ではないので事件があった時に奉行所の役人立ち入ることが出来ず犯罪者捜査などに支障生じたまた、公家風紀乱れ危惧する意見町人地負っていた町役公家が負うことは無かったので住民公家の間でトラブル生じていた(ただし、公家家臣代理町役務めた事例金銭などの形で町役負担条件に町側が居住容認した事例もある)。このため京都所司代元禄7年1694年以降公家が町人地に居住する場合には届け出義務課し続いて享保6年1721年)には公家衆拝領した屋敷定住すること、拝領地・拝借地買得地を問わず土地交換を行う(相対替)をする場合には武家伝奏通じて所司代許可を得ることとする規制課しているが、そもそもの話として土地確保できないために公家町公家集住させる方針達成できない以上、公家町人地居住禁止するようなそれ以上規制は困難であった

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