公家衆への処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 08:47 UTC 版)
9月23日(新暦10月20日)、駿府から戻った所司代・板倉勝重より、事件に関わった公卿8人、女官5人、地下1人に対して以下の処分案が発表された。 死罪 左近衛少将 猪熊教利 牙医 兼康備後(頼継) 配流 左近衛権中将 大炊御門頼国 → 硫黄島配流 (→ 慶長18年〈1613年〉流刑地で薨去) 左近衛少将 花山院忠長 → 蝦夷松前配流 (→ 寛永13年〈1636年〉勅免) 左近衛少将 飛鳥井雅賢 → 隠岐配流 (→ 寛永3年〈1626年〉流刑地で卒去) 左近衛少将 難波宗勝 → 伊豆配流 (→ 慶長17年〈1612年〉勅免) 右近衛少将 中御門宗信 → 硫黄島配流 (→ 流刑地で卒去) 新大典侍 広橋局(広橋兼勝の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月〈1623年〉勅免) 権典侍 中院局(中院通勝の娘) → 同上 (→ 同上) 中内侍 水無瀬(水無瀬氏成の娘) → 同上 (→ 同上) 菅内侍 唐橋局(唐橋在通の娘) → 同上 (→ 同上) 命婦 讃岐(兼康頼継の妹) → 同上 (→ 同上) 恩免 参議 烏丸光広 右近衛少将 徳大寺実久 この処分案に対し、天皇は非常に不満であったが、諸公卿・新上東門院など朝廷の主立った面々が賛成し、刑が確定した。10月17日(11月13日)、常禅寺にて猪熊が、鴨川の河原にて兼安が斬首となった。
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