公家社会の家門確立と昇進経路の変化とは? わかりやすく解説

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公家社会の家門確立と昇進経路の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 17:23 UTC 版)

准大臣」の記事における「公家社会の家門確立と昇進経路の変化」の解説

准大臣への補任は、大臣になれる資格ありながら空席がないために大臣なれない者を慰撫する目的運用されたとする和田英松の『官職要解』の解説長らく通説となっていた。確かに堀川基具准大臣足がかりに、正応2年1289年8月29日には晴れて太政大臣昇進している。ところが、問題はその前年関白二条師忠左大臣辞任に伴う玉突き人事によって内大臣空席生じたにも関わらず後任任じられたのは基具ではなく大納言同門久我通基だったことである。また、基具の後に准大臣となった者の昇進見てみると、次の土御門定実権大納言2名に内大臣昇任先を越され、更にその次の中院通頼は3名に大臣昇任先を越され挙句自身はとうとう大臣になれずに出家している。つまり通説とは異なり大臣空席生じて准大臣自動的に大臣昇進できるわけではなかったのである。 あくまで一説ではあるが、鎌倉時代後期宣下のあった准大臣のすべてが摂関家庶子清華家庶流出身者あり、かつその半数以上が堀川基具出した村上源氏中院流庶流出身者であったことである、とする見方がある。それに拠れば当時公家社会では家格峻別固定化進み嫡子嫡流を「重代」「譜第」の家柄位置づけ庶子庶流との区別明確にし、嫡子嫡流庶子庶流統制させて、その昇進にも格差をつけるようになっていった(家門確立)。その一方で徳政推進観点から昇進については能力重視すべきとする意見論じられた。この矛盾した二つ主張妥協として導入されたのが'准大臣であった考える説がある。すなわち、摂関家清華家嫡子嫡流であれば大納言次に大臣の座に空席があれば直ち大臣昇進できたが、庶子庶流従一位叙せられて准大臣宣下を受け更に相当の時間を経ることでようやく大臣任じられる、というルール格差である。これによって「直系」「嫡子」あるいは「重代」「譜代」を円滑に昇進させ、なおかつ有能な庶子庶流出身者」の登用を完全には排除しない仕組み形成された、とする説である。 いずれにしても、このときの堀川基具対す待遇が、その後に続く准大臣先例となった。「准大臣宣下を受けるための必須の要件」はすなわち従一位(以上)であることおよび大納言または権大納言経ている(前大納言)ことの2点である。また大納言権大納言は、そのほとんどが前大納言である。准大臣にするために、わざわざ従一位叙した大納言辞任したりした例も少なくない

※この「公家社会の家門確立と昇進経路の変化」の解説は、「准大臣」の解説の一部です。
「公家社会の家門確立と昇進経路の変化」を含む「准大臣」の記事については、「准大臣」の概要を参照ください。

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