八〇一空
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1942年11月1日、第八〇一海軍航空隊に改称。再び二五航戦に編入され、ラバウルへ進出。以後、ラバウル周辺の哨戒活動に従事。 1943年5月18日、第二十七航空戦隊(第十二航空艦隊所属)を新編、幌筵島に転出。以後、千島列島沖の哨戒活動に従事。1944年2月3日、トラック環礁に7機進出。5日間限定でマーシャル諸島残存航空隊員の救出活動に従事。2月12日、八〇二空1機とともに3機でクェゼリン環礁ルオット島を空襲。7月10日、二七航戦は新編した第三航空艦隊に転籍。以後、横浜を拠点として本土東方・小笠原諸島の哨戒行動に従事。水上偵察機24機を増強。 1945年1月1日、海上護衛総司令部直率に転籍。水上偵察機8機・陸上攻撃機48機を増強。2月11日、新編した第五航空艦隊に転籍。飛行艇全機を詫間海軍航空隊に移譲・陸上攻撃機24機に半減。4月1日、水上偵察機を全廃、陸上攻撃機のみの96機体制に変更。2月、飛行艇を詫間海軍航空隊に集中配備することになり、全機を供出した。4月からは陸上攻撃機のみとなったが、燃料払底による飛行制限と空襲による破壊で機体稼働率は急速に低下した。しかし本土決戦要員の所属部隊として名目上は部隊が存続していた。 1945年8月終戦に伴い解隊。戦後、使用していた基地は米軍の通信基地、朝鮮戦争の頃からは富岡倉庫地区としても使用され、この倉庫地区は1971年に返還された。現在は神奈川県警察の機動隊基地や富岡総合公園になっている。公園の道路両脇には石造りの隊門が現存。1981年(昭和56年)6月、旧基地内で隊の守護神として祀られていた「鳥船神社」(1938年に伊勢山皇大神宮より分霊を受けて創建)の跡地に「浜空神社」を創建した。2008年(平成20年)6月、旧隊員の高齢化等で維持困難となり、追浜の雷神社に移転した。現在は神社跡地に「鎮魂 海軍飛行艇隊碑」が建立され、旧隊員と遺族からなる浜空会により、毎年4月の慰霊祭と8月の慰霊会が執り行われている。
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