八〇一空とは? わかりやすく解説

八〇一空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:16 UTC 版)

横浜海軍航空隊」の記事における「八〇一空」の解説

1942年11月1日第八〇一海軍航空隊改称。再び二五航戦に編入されラバウル進出以後ラバウル周辺哨戒活動従事1943年5月18日第二十七航空戦隊(第十二航空艦隊所属)を新編幌筵島転出以後千島列島沖の哨戒活動従事1944年2月3日トラック環礁に7機進出5日限定マーシャル諸島残存航空隊員の救出活動従事2月12日、八〇二空1機とともに3機でクェゼリン環礁ルオット島空襲7月10日二七航戦は新編した第三航空艦隊転籍以後横浜拠点として本土東方小笠原諸島哨戒行動従事水上偵察機24機を増強1945年1月1日海上護衛総司令部直率に転籍水上偵察機8機・陸上攻撃機48機を増強2月11日新編した第五航空艦隊転籍飛行艇全機詫間海軍航空隊移譲陸上攻撃機24機に半減4月1日水上偵察機全廃陸上攻撃機のみの96機体制に変更2月飛行艇詫間海軍航空隊集中配備することになり、全機供出した。4月からは陸上攻撃機のみとなったが、燃料払底による飛行制限空襲による破壊機体稼働率急速に低下した。しかし本土決戦要員所属部隊として名目上部隊存続していた。 1945年8月終戦に伴い解隊戦後使用していた基地米軍通信基地朝鮮戦争の頃からは富岡倉庫地区としても使用され、この倉庫地区1971年返還された。現在は神奈川県警察機動隊基地富岡総合公園になっている公園道路両脇には石造りの隊門が現存1981年昭和56年6月、旧基地内で隊の守護神として祀られていた「神社」(1938年伊勢山皇大神宮より分霊受けて創建)の跡地に「浜空神社」を創建した2008年平成20年6月、旧隊員高齢化等で維持困難となり、追浜雷神社移転した。現在は神社跡地に「鎮魂 海軍飛行艇隊碑」が建立され、旧隊員遺族からなる浜空会により、毎年4月慰霊祭8月慰霊会が執り行われている。

※この「八〇一空」の解説は、「横浜海軍航空隊」の解説の一部です。
「八〇一空」を含む「横浜海軍航空隊」の記事については、「横浜海軍航空隊」の概要を参照ください。

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