会社の創業、宗教団体の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:16 UTC 版)
「深見東州」の記事における「会社の創業、宗教団体の設立」の解説
大和ハウス工業に就職し、営業マンとして東京に赴任する。1977年に、大本教と提携している道院紅卍字会に出入りするようになり、1977年に一時世界真光文明教団の信者だったこともある霊能力者の橘カオル(徳田愛子)に出会った。橘カオルはごく普通の安定した家庭の主婦であったが、33歳の時に夢枕に神が降り、1972年に⦿の神(スの神)が降り、深見との出会いを予言されていたという。深い宗教関係の知識を持っていた深見は、「なにも持たず、知らず、生活から出た神意のポイントしか指摘しない」橘に非常な衝撃を受け、教えを乞うようになり、家族や宗教的な仲間たちと共に橘家とその周辺に引っ越した。 深見とその家族、仲間たちは橘の家で1年間共同生活を行い、1978年に深見は大和ハウス工業を退職した。橘は東京に株式会社三十鈴(現ミスズ)を設立し、深見は株式会社三十鈴が運営する予備校三十鈴学苑(現みすず学苑)を設立した。その後、深見青山という名前で著作を刊行するようになる。 1984年、任意団体コスモコア(現ワールドメイト)を設立、深見と橘がともに運営していた。1985年に有限会社コスモコアを設立し、1987年にコスモメイトに改名。 1987年、橘出版(現たちばな出版)を創業する。37歳でオーストラリアのパースで会社を買収し、海外においても企業経営を始める。イギリスでも、ホテルと観光会社の経営を行い、国内外で13社ほどの会社の社長をつとめる。 しかし1992年末より、深見の直弟子の村田久聴を中心に分派活動が起こり、深見とコスモメイトに対してマイナスのイメージを与える報道が相次いだ。深見は村田と村田派の職員を解雇。その後、相当な数の職員が退職した。 1995年に東州に改名。深見が中心となっているビッグビジネス研究所主催でフランシス・フクヤマらを招き国際シンポジウムを開催、またバレエオペラの上演、関連団体の主催で複数のチャリティーコンサートを開催した(芸術活動に関しては次節を参考)。大本の信者であった梅田善美らと共に神道国際学会を設立、神道学者らとシンポジウムも開催した。 1994年にコスモメイトをパワフルコスモメイトに改名、さらに同年コスモメイトにまた改名した。 2012年にワールドメイトが宗教法人として認可された。 2015年12月8日に、代表取締役社長をつとめるミスズが、「ロベルト・カヴァリ バイ フランク・ミュラー」の日本総代理店となった。 2017年6月に、ゴルファー専用の高級機械式腕時計を製造するスイスブランドメーカー「ヤーマン&ストゥービ」のオーナー社長に就任する。
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