人物と創作の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:24 UTC 版)
「ハワード・フィリップス・ラヴクラフト」の記事における「人物と創作の背景」の解説
海産物を特に嫌っており、このことは彼の作品に登場する邪神たちの造形に強く影響を及ぼしている。芸術作品については、彼の作品に見られるものと同じく、古いものを愛した。絵画に関しては風景画を好み、建築に関しては機能的な現代様式を嫌い、ゴシック建築を好んだ。あらゆる種類のゲームやスポーツに関心がなく、古い家を眺めたり、夏の日に古風で風景画のように美しい土地を歩き回ることを好んだ。 人種偏見もまた強かったとされる。彼の生きた時代は欧米白人文明の優越がまだ根強かったが、彼の人種偏見は「常軌を逸している」という研究者もいる。ニューヨークを嫌ったのもそこが人種の坩堝の様相を呈したためであるといわれており、このような異人種嫌悪が、彼の作品に影響を与えたこともまた否定しがたい。 性格的には、気まぐれで矛盾した性向を持っており、残された膨大な書簡中には相反する主張が見出されている。その時々で言うことが変わり、時にはヒトラーの人種差別政策やユダヤ人弾圧を批判したり、アングロサクソン文明よりも中華文明がより優れていると述べたり、また、ネグロイドとオーストラロイドだけは生物学的に劣っているとして、この二種に対してだけは明確な線引きが必要だと主張したりもしている。政治的には保守を自認していたが、晩年には社会主義思想に一定の影響を受けた。 科学への興味と造詣が深く、ホラーや幻想的作品を書いたが迷信や神話の類を一切信じず無神論者を自認していた。エドガー・アラン・ポー、ダンセイニ卿、ウォルター・デ・ラ・メア、バルザック、フローベール、モーパッサン、ゾラ、プルーストといった作家を気に入っており、小説におけるリアリズムを好んでいた。一方でヴィクトリア時代の文学は嫌っていた。 初期の作品はアイルランド出身の幻想作家ダンセイニ卿やポーの作品に大きく影響を受けているが、後期は、宇宙的恐怖を主体としたより暗い階調の作品になっていく。ブラヴァツキー夫人が著した『シークレット・ドクトリン』をはじめ神智学の影響も見受けられる。19世紀末から20世紀初頭にかけ世界的にスピリチュアリズムが流行しており、ラヴクラフトもその潮流の中で創作活動を行った。作品は彼自身の見た悪夢に直接の影響を受けており、潜在意識にある恐怖を描き出したことが、21世紀の今に至るまで多くの人を惹きつけている。 ラヴクラフトは、その作品に一般的にはあまり使われない難解な単語(または稀語)を多く使用する傾向があった。彼が創造した架空の名と、ラヴクラフト流の「ゴシック・ロマンス」をまとった文体は独特の個性となっていた。しかし、それらは逆に当時のアメリカ大衆から受け入れられにくいものにもなり、ラヴクラフト自身は公私共に「アウトサイダー」であった(アウトサイダーはラヴクラフト自身が好んだ言葉でもある)。
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