京都の六斎念仏
名称: | 京都の六斎念仏 |
ふりがな: | きょうとのろくさいねんぶつ |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 京都六斎念仏保存団体連合会 梅津六斎保存会,吉祥院六斎保存会,空也念仏郡保存会,久世六斎保存会,小山 郷六斎保存会,西院六斎念仏保存会,西方寺六斎念仏保存会,嵯峨町六斎念仏保 存会,千本六斎会,中堂六斎会,壬生六斎念仏講中,上鳥羽橋上鉦講中,六波羅 蜜寺空也踊躍念仏保存会,円覚寺六斎念仏講,桂六斎念仏保存会 |
指定年月日: | 1983.01.11(昭和58.01.11) |
都道府県(列記): | 京都府 |
市区町村(列記): | 京都市 |
代表都道府県: | 京都府 |
備考: | |
解説文: | 口に念仏や和讃などを唱え、鉦、太鼓、瓢などを打ちならしながら踊躍歓喜する「念仏踊」は、全国各地にいろいろの型が伝承されている。その中でも「京都の六斎念仏」は、これらの念仏系の芸能のみならず、能楽系、歌舞伎系の芸能をも多く取り入れながら発達してきたものである。これらは京都を中心として生まれた地域的特色が顕著な念仏踊であるので、これを重要無形民俗文化財に指定し、その保存をはかる。 六斎念仏は京都内十五か所で伝承されている芸能である。六斎とは仏教でいう月の八、十四、十五、二十三、二十九、三十の六日の斎日の意で、これらの日には悪鬼が出て来て人命を奪う不吉の日とされ、この日には身を慎んで、仏の功徳を修し、鬼神に回向し、悪行から遠離し、善心を発起せしめるべき日とされている。 この日には、念仏、和讃などを唱え、鉦、太鼓などで囃す。曲目は念仏系(発願、回向唄、弥陀願唱、念仏、結願など)、能楽系(道成寺、鉄輪、頼光、八島、石橋、安達が原など)、歌舞伎系(和唐内、手習子など)の系統に分けられる。また、このほか祇園囃子、四ッ太鼓などもあり内容は多種多様である。 六斎念仏の起源については、いろいろな説があるが明確ではない。また、この六斎念仏は空也堂(極楽院)と干菜寺(光福寺)の二つの系統からなっている。 |
京都の六斎念仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:00 UTC 版)
京洛近郊の六斎念仏は一部特殊な展開を見せ、本来のものとは別個の形式を近世以降派生させるに至った。それの最も大きな特徴は、使用する楽器に笛を取り入れた点である。このようなものを、従来の形と区別する便宜より、「六斎念仏踊り(単に「六斎踊り」とも)」ないし「芸能六斎」と学術上呼称する。その内容は、念仏から離れた娯楽要素の強い曲目の演奏である。 かかる形態の出現によって、一方では保守本流の六斎念仏講も存在し続けたために、京都周辺には、二種類の様式がともに「六斎念仏」として混在する事態が起こった。なお、現在は上述の用語に対比させて、元々の六斎念仏のことをやはり学術上「念仏六斎」と称している。但し、実際には「鉦講」という名で各地元ではむしろ親しまれてきた(上鳥羽橋上鉦講、嵯峨水尾の鉦講など)。 ところで、いずれの六斎念仏を始めるに当たっても、各講は管轄の寺院より免許を受ける決まりであった。寺院は二つで、干菜寺(干菜山光福寺:京都市左京区田中上柳町)と、空也堂(紫雲山極楽院光勝寺:京都市中京区亀屋町)である。そのどちらから免許を受けたかによって、「干菜寺系六斎」「空也堂系六斎」という分類をされることもある。干菜寺は六斎の芸能化を認めなかったとされ(その旨の通達文書がある)、他方空也堂はその辺り寛容であったらしく、芸能六斎は全て空也堂系に帰している。なお、空也堂系にも念仏六斎は存在するので、これら系統の比較と、念仏・芸能の複雑な関連性が見られる。 また、平成15年以降、京都市内では小学生を中心に六斎念仏の体験教室を行うなど、精力的な継承活動に力を入れている。平成30年にはこども六斎教室連絡会を立ち上げている。
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