京葉電車区時代
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1990年(平成2年)3月10日に京葉電車区へ改称。施設増設により、開設当初の計画通りの全面完成に至る。車両面では205系120両の新規投入、103系は習志野電車区から京葉線運用車両100両及び、浦和電車区から30両の転入(編成の詳細は後述)。同時に、快速・通勤快速の運転(線内のみ)と、内房線(君津まで)、外房線(上総一ノ宮まで)、東金線(全線)への乗り入れを開始、快速・通勤快速は終日10両編成(205系)、各駅停車は朝夕10両編成、日中・深夜6両編成(103系)で運用だが、外房線・東金線直通電車(平日:通勤快速、休日:快速)は、外房線誉田で分割・併合をする為、103系10両分併編成の限定運用となった。 1993年(平成5年)12月1日から各駅停車終日10両化に伴い、新習志野駅での朝夕ラッシュ時前後の分割・併合が無くなり、翌1994年(平成6年)から10両分併編成を、分割・併合をしない固定編成(以下:10両非分併編成)へ変えていく動きが始まり、各区からの車両の転入・転出と編成の組替により、1995年(平成5年)4月1日時点での103系は、10両分併編成×8本、10両非分併編成×5本、同年10月1日時点での103系は、10両分併編成×7本、10両非分併編成×6本となった。同年12月1日に外房線設備改良に伴い、最高速度向上(110km/h化)の為、この日までに205系全編成に110km/対応改造施工した。 1996年(平成8年)1月〜2月にかけて、浦和電車区から103系10両が転入、3月30日に中間に先頭車の無い103系10両編成(以下:10両貫通編成)に組成して、輸送力の増強に当てた。1999年(平成11年)12月4日に外房線・東金線直通運用の内、外房線直通編成の運転区間を東京-勝浦間に延長し、103系の運用範囲が勝浦まで拡大。その後も、車体更新を中心とした、浦和電車区からの転入などにより、2000年(平成12年)4月1日時点での103系の編成は、10両分併編成×7本、10両貫通編成×5本、10両非分併編成×2本となった(編成の詳細は後述)。同年8月1日に、三鷹電車区(現・三鷹車両センター)から、中央・総武緩行線用E231系0番台の投入に伴って捻出された201系が転入、それから11月までに計40両が転入(編成の詳細は後述)、この際、車両は黄色5号から青22号へ外部塗装の変更と、中間先頭車に自動解結装置取付などを行った。 103系10両非分併編成置き換えの為に、2001年(平成13年)6・8・9月に201系30両が三鷹電車区から転入、この転入車は、分割・併合をしない編成(非分併編成)で、そのうち2本は、試作車900番台を含む転入だった(編成の詳細は後述)。2002年(平成14年)3月16日に三鷹電車区から205系10両が転入、さらに、山手電車区(現・東京総合車両センター)から、山手線へのE231系500番台の投入に伴って捻出された205系が、同年7月31日と8月22日に計20両転入、これらの転入車は、205系オリジナルタイプの先頭車の編成である。なお、110km/対応改造は施工されていない。この転入により、103系10両分併編成の運用が終了した。同年3月26日に、本線で車両不具合などの対応を行う西船橋派出を設置。2003年(平成15年)12月10日に103系10両非分併編成が廃車され、同編成の運用が終了した。この編成は2002年(平成14年)6月26日に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で、DDM(ダイレクトドライブモーター)駆動に改造施工のモハ103-502を連結した編成であった。2004年(平成16年)3月13日ダイヤ改正に合わせて豊田電車区(現・豊田車両センター)から武蔵野線運用車両320両が転入した。
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