二人の宋江とは? わかりやすく解説

二人の宋江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)

水滸伝の成立史」の記事における「二人の宋江」の解説

となるストーリー中でも山賊であった宋江朝廷帰順し方臘征伐活躍する」という部分は、とりわけ重要であり、長年のあいだ史実信じられていた。しかし1939年陝西省府谷県において、北宋末の范圭なる人物が撰した「宋故武功大夫河東第二将折公墓誌銘」という史料発見されたことで、異説現れた。これは北宋末に方臘征伐参戦した折可存という武人称えた墓誌であるが、宣和3年1121年4月26日方臘捕らえた後、都へ凱旋途中寇の宋江追捕したと記されていたからである。これを文字通り読めば方臘征伐時点ではまだ宋江朝廷投降していなかったことになる。 牟潤孫はこれに対し宋江方臘征伐で功を立てたことがかえって仇となり、嫉妬から謀叛疑いかけられ征伐されたとの説を唱えたが、論理飛躍があり、決定打とはならなかった。また厳敦易は、そもそも宋江が張叔夜に投降したという史料は、そうした命令出たというだけで、実際に投降したとは限らないとし、宋江はこの時点官軍身を投じた訳ではなかったとの説を唱えた宮崎市定は『東都事略』(南宋の王偁による史書)の宣和3年5月3日記事に「宋江、擒に就く(捕らえられる)」とあること、『皇宋十朝綱要』(南宋埴著)、『続資治通鑑長編紀事本末』(楊仲良著)などに方臘征伐軍将軍宋江4月24日包囲戦方臘退路断ち方臘捕縛後6月5日にも残党滅ぼして反乱平定するなどの活躍記されていることなどから、「山賊宋江方臘征伐従軍していた将軍宋江は、同姓同名別人である」との新説展開した宋江方臘関連年表宣和元年1119年12月 宋江を招撫せよとの詔が出る(『皇宋十朝綱要』)。 宣和2年1120年10月 江南方臘の乱勃発(『宋史』「徽宗紀」)。 12月 7日 京東宋江山東出没したため、曾孝蘊を青州転任させる(方勺『泊宅編』)。 21日童貫方臘征伐赴く(『宋史』)。 29日童貫方臘征伐赴く(『泊宅編』)。 宋江海州で張叔夜に投降する(『続資治通鑑長編紀事本末』)。 ?月 童貫宋江等を率いて方臘征伐赴く(『三朝北盟会編』巻52中興姓氏奸邪録』)。 宣和3年1121年1月 7日 童貫方臘征伐赴く(『皇宋十朝綱要』)。 2月 15日 宋江海州で張叔夜に投降する(『皇宋十朝綱要』)。 宋江海州で張叔夜に投降する(『宋史』)。 4月 24日 宋江方臘のこもる幇源洞の背後をつく(『続資治通鑑長編紀事本末』)。 26日 方臘捕らえられる(『宋史』)。 宋江方臘残党捕らえる(『三朝北盟会編』巻212林泉野記』)。 5月 3日 宋江海州で張叔夜に投降する(『東都事略』)。 3日 張叔夜が盗賊捕らえた功で職一等進められる(『宋会要輯稿』第177冊)。 6月 9日 宋江方臘残党を上苑洞で破る(『皇宋十朝綱要』)。 宣和4年1122年3月 折可存らが方臘残党呂師嚢を破る(『泊宅編』)。 ?月 折可存が寇の宋江捕らえる(「折可存墓誌銘」)。 年表高島俊男宋江實録』より。同様の事件でも、史料により時期異なるため重複して記載。 それに対し高島俊男は、宮崎説をはじめ従来の説徹底的に批判した。まず各書によって事件日付混乱見られるのは、一人人物(たとえば宋江)にまつわる複数事柄まとめて記載する際に、代表的な事件起きた日付箇所まとめて記載することが多いという史書慣例のためとし、必ずしもそれらの事件すべてが記載日時起きた訳ではない指摘高島によれば、各史書官軍宋江活躍記した箇所は後からの補筆形跡疑われ、『大宋宣和遺事』(後述)などで広く宋江関連説話広まって以降改竄された可能性高く事実として「山賊宋江官軍降り方臘征伐活躍したということはなかったと結論している。また、折可存が方臘征伐帰路捕らえたという寇(こそ泥)の宋江は、山東淮南広域荒らしていた宋江の名にあやかって名乗った規模小さい草であったとする。 いずれにしろ、盗賊宋江朝廷方臘征伐軍加わって功績挙げたという事件は史実としては認めがたく、『水滸伝物語はじめから虚構の上成り立っているといえよう

※この「二人の宋江」の解説は、「水滸伝の成立史」の解説の一部です。
「二人の宋江」を含む「水滸伝の成立史」の記事については、「水滸伝の成立史」の概要を参照ください。

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