世界のミフネ
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1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、クロサワとともにミフネの名も世界に知れ渡った。世界中のトップスターたちから「最も尊敬する俳優」と慕われ、共演を熱望された。1961年に初の海外作品『価値ある男』(メキシコ映画)に主演して以来、多くの海外映画にも出演している。 「三船敏郎の出演作品」も参照 チェ・ゲバラは『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎の恰好までするほどのファンであった。 マーロン・ブランドは飛行機に乗っていた際、三船が同乗している事を知るや自分から挨拶に行ったという。 ジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』(1977年)の初期構想で、オビ=ワン・ケノービ役に三船を起用することを考えていたが、その後にキャラクター設定が変って厳粛な雰囲気を持つ俳優が演じる必要が出てきたため、三船ではなくアレック・ギネスを起用することになった。また、三船は『ベスト・キッド』(1984年)のミヤギ役を断っている(代わりに出演した日系人俳優パット・モリタはアカデミー助演男優賞にノミネートされた)。 米国人に最も有名なのはテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』(1980)の将軍役で、ミフネ=サムライのイメージが固定した。1980年代のアメリカの人気テレビ『サタデー・ナイト・ライブ』ではジョン・ベルーシが『用心棒』の主役の物まねで人気を博した。ベルーシは『1941』で三船と共演しているが、直接の絡みは無い。 『マトリックス・リローデッド』『マトリックス・レボリューションズ』には、「ミフネ船長」なる人物が登場した。『マトリックス リローデッド』でモーフィアスが日本刀を手にして大立ち回りする場面は、三船にオマージュを捧げたものである。ちなみに主演のキアヌ・リーブスは2015年制作の三船のドキュメンタリー映画『ミフネ:ザ・ラストサムライ(英語版)』にてナレーションを担当している。 三船への海外からのオファーは、晩年においても1年で通常の段ボール箱が一杯になるほど依頼が殺到していた。三船の出演を決断させる要素は「日本人を茶化さない」、「三船プロの運営に支障をきたさない(『デルス・ウザーラ』や『スター・ウォーズ・シリーズ』など多くの出演辞退はこれに該当)」、「世界各国のオールスターが出演し、その日本代表として指名」、「俳優、三船敏郎単体より、三船プロとして仕事を受けられるか(『グラン・プリ』、『レッド・サン』、『ミッドウェイ』、『1941』などが該当)」、「制作サイドの誠意ある交渉(黒澤解任後の『トラ・トラ・トラ!』への出演依頼に対して、黒澤の再登板と日本サイドの制作を三船プロに一任することが受け入れられなかった等があり、それらの条件をクリアした相手に対しては「出演させていただきます」というような誠意をもって応えた。また、出演を辞退する際も丁重に対応した。ただし『デルス・ウザーラ』に関しては、本人が自費で海外に渡航し、スケジュールを調整していたと野上照代に話している(実際、1972年から1975年まで、海外の作品に出演していない)。三船本人は海外ロケは「出稼ぎ」と称し、億劫であるとして、三船プロとしても仕事を受けやすい国内ロケの作品(『将軍 SHŌGUN』、『最後のサムライ ザ・チャレンジ』、『武士道ブレード』)に多く出演した。また、三船プロ発展のため、ハリウッド映画に拘らず、様々な国の映画に出演し、同行のスタッフを研修させていることも特筆に値する[要出典]。 『シャドウ・オブ・ウルフ』の出演オファーが来たドナルド・サザーランドは、三船の出演が決まっていると聞き、脚本を読まずに出演を決めたと語っている。 三船の海外映画出演のギャラに関しては、『グラン・プリ』に出演の話があったときに、東宝のロサンゼルス支局の渡辺毅が、『グラン・プリ』のプロデューサー、エドワードルイスと交渉したものが、それ以後もベースになったという。当時、東宝からの出演料は600万円だったというが、これでは安いと判断した渡辺は、出演料は30万ドル(当時のレートで1億800万)であるとルイスにふっかけ、それを相手が承知したという。 ソーレン・クラーク=ヤコブセン監督のデンマーク映画『ミフネ』(1999年)のタイトルは三船から付けられた。映画では子供たちが「ミフネごっこ」というチャンバラ遊びをしていたことが描かれているが、監督自身も子供時代に『七人の侍』の三船に夢中になり、ミフネごっこを実際にしていた。 三船が他界した翌年のアカデミー賞授賞式のメモリアル映像では、三船の映像が映し出された時、大きく拍手喝采が起こった。この映像集に登場したことは、三船がアカデミーの会員であったことを証明している。ある年のアカデミー賞授賞式のレッドカーペットでのセレブインタビューで「好きな日本の俳優は誰ですか?」と聞いたところ、ほとんどのセレブが「トシロー・ミフネ」の名をあげた。「他に誰がいるっていうの?」というセレブもいたという。 1983年、シカゴで「三船敏郎フェスティバル」が開催され、翌年の1984年にはニューヨークでも開催された。
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