世界のミフネとは? わかりやすく解説

世界のミフネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 12:14 UTC 版)

三船敏郎」の記事における「世界のミフネ」の解説

1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞しクロサワとともにミフネの名も世界知れ渡った世界中トップスターたちから「最も尊敬する俳優」と慕われ共演熱望された。1961年に初の海外作品価値ある男』(メキシコ映画)に主演して以来多く海外映画にも出演している。 「三船敏郎の出演作品」も参照 チェ・ゲバラは『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎恰好までするほどのファンであったマーロン・ブランド飛行機乗っていた際、三船同乗している事を知るや自分から挨拶行ったという。 ジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』(1977年)の初期構想で、オビ=ワン・ケノービ役に三船起用することを考えていたが、その後キャラクター設定変って厳粛な雰囲気を持つ俳優演じる必要が出てきたため、三船ではなくアレック・ギネス起用することになったまた、三船は『ベスト・キッド』(1984年)のミヤギ役を断っている(代わりに出演した日系人俳優パット・モリタアカデミー助演男優賞ノミネートされた)。 米国人に最も有名なのはテレビドラマ将軍 SHŌGUN』(1980)の将軍役で、ミフネサムライイメージ固定した1980年代アメリカ人気テレビ『サタデー・ナイト・ライブ』ではジョン・ベルーシが『用心棒』の主役物まね人気博したベルーシ『1941』三船共演しているが、直接絡みは無い。 『マトリックス・リローデッド』マトリックス・レボリューションズ』には、「ミフネ船長」なる人物登場した『マトリックス リローデッド』モーフィアス日本刀を手にして大立ち回りする場面は、三船オマージュ捧げたのであるちなみに主演キアヌ・リーブス2015年制作三船ドキュメンタリー映画ミフネ:ザ・ラストサムライ(英語版)』にてナレーション担当している。 三船への海外からのオファーは、晩年においても1年通常の段ボール箱一杯になるほど依頼殺到していた。三船出演決断させる要素は「日本人化さない」、「三船プロ運営支障きたさない(『デルス・ウザーラ』や『スター・ウォーズ・シリーズ』など多く出演辞退はこれに該当)」、「世界各国オールスター出演しその日本代表として指名」、「俳優三船敏郎単体より、三船プロとして仕事受けられるか(『グラン・プリ』、『レッド・サン』、『ミッドウェイ』『1941』などが該当)」、「制作サイド誠意ある交渉(黒澤解任後の『トラ・トラ・トラ!』への出演依頼に対して黒澤の再登板日本サイド制作三船プロ一任することが受け入れられなかった等があり、それらの条件クリアした相手に対しては「出演させていただきます」というような誠意をもって応えたまた、出演辞退する際も丁重に対応した。ただし『デルス・ウザーラに関しては、本人自費海外渡航しスケジュール調整していたと野上照代話している(実際1972年から1975年まで、海外作品出演していない)。三船本人海外ロケは「出稼ぎ」と称し億劫であるとして、三船プロとしても仕事を受けやすい国内ロケ作品(『将軍 SHŌGUN』、『最後のサムライ ザ・チャレンジ』、『武士道ブレード』)に多く出演したまた、三船プロ発展のため、ハリウッド映画拘らず様々な国の映画出演し同行スタッフ研修させていることも特筆値する[要出典]。 『シャドウ・オブ・ウルフ』の出演オファーが来たドナルド・サザーランドは、三船出演決まっていると聞き脚本読まず出演決めた語っている。 三船海外映画出演ギャラに関しては、『グラン・プリ』に出演の話があったときに、東宝ロサンゼルス支局渡辺毅が、『グラン・プリ』のプロデューサーエドワードルイス交渉したものが、それ以後ベースになったという。当時東宝からの出演料600万円だったというが、これでは安いと判断した渡辺は、出演料30ドル当時レート1億800)であるとルイスふっかけ、それを相手承知したという。 ソーレン・クラーク=ヤコブセン監督デンマーク映画ミフネ』(1999年)のタイトル三船から付けられた。映画では子供たちが「ミフネごっこ」というチャンバラ遊びをしていたことが描かれているが、監督自身子供時代に『七人の侍』の三船夢中になり、ミフネごっこを実際にしていた。 三船他界した翌年アカデミー賞授賞式メモリアル映像では、三船映像映し出された時、大きく拍手喝采起こった。この映像集登場したことは、三船アカデミー会員であったことを証明している。ある年のアカデミー賞授賞式レッドカーペットでのセレブインタビューで「好きな日本俳優は誰ですか?」と聞いたところ、ほとんどのセレブが「トシロー・ミフネ」の名をあげた。「他に誰がいるっていうの?」というセレブもいたという。 1983年シカゴで「三船敏郎フェスティバル」が開催され翌年1984年にはニューヨークで開催された。

※この「世界のミフネ」の解説は、「三船敏郎」の解説の一部です。
「世界のミフネ」を含む「三船敏郎」の記事については、「三船敏郎」の概要を参照ください。

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