世界のマザー・テレサとは? わかりやすく解説

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世界のマザー・テレサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 02:56 UTC 版)

マザー・テレサ」の記事における「世界のマザー・テレサ」の解説

テレサ活動カトリック教会全体刺激与え男子修道会神の愛宣教修道士会」(1963年)、「神の愛宣教信徒会」などが次々設立されていった1969年アメリカ人マルコム・マッグリッジ撮ったドキュメンタリー映画すばらしいことを神様のために(Something Beautiful for God)』および同名書籍によって、テレサ活動アメリカのみならず全世界知られるようになった。この作品取材をする中でマッグリッジはテレサの姿に強い感銘を受け、のちにカトリック教徒になっている1971年教皇パウロ6世は、自らが制定した勲章ヨハネ23世教皇平和賞」の最初受章者としてテレサ選んだ。これを皮切りに多くの賞がテレサ与えられることになる。ケネディ賞(1971年)、アルベルト・シュバイツアー賞(1975年)、アメリカ合衆国大統領自由勲章1985年)、アメリカ合衆国名誉市民1996年)、議会名誉黄金勲章1997年)、これらに加えて数多く大学名誉学位受けたアメリカ合衆国名誉市民としては5人目存命中はチャーチル次いで2人目)、またアメリカやその同盟国政治家・軍人以外としては初めての授与である。 こういった賞の中でもっとも有名なものは、もちろん1979年受けたノーベル平和賞であろうテレサ授賞式の際にも特別な正装はせず、普段同じく白い木綿サリーと革製のサンダルという粗末な身なり出席した賞金19万2,000ドルはすべてカルカッタ貧し人々のために使われることになった上、授賞式の場においては「私のための晩餐会不要です。その費用はどうか貧し人々のためにお使い下さい」とも要望した。賞金受け取ったとき「このお金でいくつのパン買えますか」と言ったという。インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられテレサ答えシンプルなものであった。「家に帰って家族愛してあげてください」。 1982年にはテレサイスラエルパレスティナ高官にかけあって武力衝突一時休止させ、戦火の中で身動きがとれなくなっていたベイルート病院患者たち救出している。

※この「世界のマザー・テレサ」の解説は、「マザー・テレサ」の解説の一部です。
「世界のマザー・テレサ」を含む「マザー・テレサ」の記事については、「マザー・テレサ」の概要を参照ください。

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