三国時代の初期仏教とは? わかりやすく解説

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三国時代の初期仏教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:18 UTC 版)

朝鮮の仏教」の記事における「三国時代の初期仏教」の解説

朝鮮半島への仏教の伝来は、4世紀後半魏晋南北朝時代中国から、様々な経路経て高句麗・百済・新羅伝搬した。『三国遺事』三国史記』によると、仏教胡人の僧阿道の手により高句麗新羅もたらされた。 高句麗へは372年小獣林王2年)に、前秦苻堅胡人の僧順道派遣したことが初伝であり、この時期には般若系の思想格義仏教伝わっている。また、高句麗から中国留学した僧郎は、武帝の下で三論宗基礎築いた百済へは384年枕流王元年)に東晋から摩羅難陀来訪したことが初伝となる。5世紀にはインド留学した謙益が『阿毘曇』と『五分律』を持ち帰り、律の研究進んだまた、南岳慧思から学んだ玄光による法華信仰や、弥勒信仰が行われた。 新羅への伝搬諸説あるが、528年法興王14年)に、高句麗からもたらされ仏教受容訴えた異次頓(朝鮮語版)の殉教経て公認されたという説が有力である。 五胡十六国時代から南北朝時代中国から伝えられ、これら三国においてはその後律令制度整備に伴い国家建設理念としての役割を果たすようになった点が特徴的である。特に新羅においては護国仏教としての性格が強いのが特徴で、唐の侵攻対し先頭立って人民徹底抗戦促して新羅朝鮮半島統一大きな影響与えた。この時代仏教は、三論宗律宗涅槃宗がまず伝わり次に円融宗、華厳宗法性宗伝わったこの他主なもの法相宗小乗宗、海東宗、神印宗などがあった。 三国時代末期から統一新羅初頭にあたる7世紀は、東アジア全域での仏教最盛期であり、僧侶往来盛んに行われ朝鮮からも多く学僧輩出した円測613年 -696年)は627年入唐し、玄奘師事して唯識学学んだ円測帰国せず唐で没したが、唯識学学統築いた元暁617年 -686年)は、『十門和諍論』の中で仏法は一観であり、説けば十門となる。百種類の異論調和させて、一味法海に至るようにする(和百家之異諍 歸一味之法海)と、根本的な唯一の仏法を「和諍」の思想から世に提示したまた、海東華厳の祖と言われる義湘625年 -702年)は、唐の智儼の下で学び帰国後に華厳宗根本道場となる浮石寺建立し統一新羅支え国家仏教確立した6世紀中ごろ百済経由して日本もたらされ仏教も、「インド仏教そのままのものではなく中国において再構成された「中国仏教であったことは、百済から日本の天皇送られた「仏像経巻」が、金銅仏であり、漢訳仏典であることに注意すればこれ以上多言要さない

※この「三国時代の初期仏教」の解説は、「朝鮮の仏教」の解説の一部です。
「三国時代の初期仏教」を含む「朝鮮の仏教」の記事については、「朝鮮の仏教」の概要を参照ください。

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