ンマハラシーと琉球古武道の伝承と世界への普及発展、及びユネスコ登録について
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日本在来馬は北海道和種(道産子)、木曽馬、野間馬、対州馬、御崎馬、トカラ馬、そして沖縄には宮古馬と与那国馬がいる。これらの在来馬は日本のそれぞれの地域で、農耕用や荷物の運搬用などに使われながら飼養されてきました。沖縄では庶民の娯楽としてンマハラシー(琉球競馬)が広く各地で戦前まで開かれていた。沖縄の歴史として琉球王朝時代は偉人侵略者との闘いでもあった。武器としての刀剣等を持たない農家にとって手短に馬のムーゲー(木製のくつわ)からヌンチャクを作り、蹄鉄(ていてつ)は、主に馬の蹄(ひづめ)を保護するために装着される、U字型の保護具であるが、これから鉄甲等の武器が作られた。馬に掛けられた籠のなかには常に鎌を入れ、農具のかつぎ棒、大豆などの殻をとる道具クルマンボウを載せて移動していた。しかし戦前戦中から小型の在来馬は淘汰されていった。戦争用に大型の馬に変えられていった。第二次大戦では沖縄本島は島々が艦砲射撃により焦土化してしまって宮古馬や与那国馬の在来馬がほとんどいなくなってしまった。 1960年代にモータリゼーションが進むにつれて、在来馬の需要が少なくなり飼養頭数は減少したが、8馬種は全て人と馬とが共存した時代の証であり、世界で唯一のかけがいのない遺伝資源及び文化遺産である。平和で豊かな時代のウマハラシーは少なくなったが、最近は、ホーストレッキングや流鏑馬、ホースセラピーへの用途開拓の取組がなされている。沖縄伝統空手道は、仁義と礼を重んじ、戦後の沖縄復興の一助ともなった空手が「平和の武術」である。沖縄で生まれた、礼節を尊ぶ武道「空手」。いまや国境や宗教、政治、人種の壁を超え、世界中に空手道を究めんと稽古に励んでいる。 空手発祥の起源は琉球王国時代の士族が教養として学んだ護身術である琉球古武道がそのルーツといわれている。また、琉球政府が武器を放棄し、平和外交を行う姿勢を示したことも、空手道の精神に繋がったともいわれている。沖縄古来からの古武術と中国の武術が融合し、現在の空手の基本が生まれた。空手は、突き、蹴り、受け、転身、投げ、固め、極めなどの技を活用した武道で、首里、那覇、泊の三つの地域を中心に発達。その後、多くの流派を生み出し研鑽されたのち、日本本土、そして世界に広がった。今日では、護身術、精神修行の手段として広く世界中の人々に受け入れられている。 沖縄で脈々と受け継がれてきた空手は、先人たちが伝え継承してきた「型」の習得を重要視している。「型」は、攻防一体となった無駄のない技が構築されており、同じ「型」を日々繰り返し鍛錬することによって、体力、忍耐力、精神力を鍛え上げることにつながるとされています。空手の鍛錬は型の反復練習に加え、器具などを使った部位鍛錬が伝統的な内容である。近代になって組手による修練が誕生し、古武道とも一体であるとされることから、武器術や取手術、関節術なども合わせた総合的な武術として修練されている。 知念 宏はこの平和の武術、沖縄伝統空手、琉球古武道と平和の象徴ンマハラシーを無形文化遺産及びユネスコ登録を目指して活動している。 那覇大名町のンマハラシーの顕彰碑には「帰馬放牛」の故事が書かれている。戦争のための馬や牛を野性にかえすという意味から、戦争が終わって平和になることのたとえ、または、二度と戦争をしないことのたとえを言う。
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