レッズ時代1回目とは? わかりやすく解説

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レッズ時代1回目 (1978年-1979年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:33 UTC 版)

ナッシュビル・サウンズ」の記事における「レッズ時代1回目 (1978年-1979年)」の解説

1978年サザンリーグダブルAフランチャイズ展開しナッシュビル・サウンズ結成してシンシナティ・レッズ提携したヴァンダービルト大学野球部ヘッドコーチのラリー・シュミトウがナッシュビルプロ野球チーム復活尽力しサウンズ会長およびオーナー1人となった。シュミトウのビジネス哲学として、チケット売り上げだけでなく関連商品売店からも利益上げようとした。この哲学にはエンターテイメント施設としてなど野球場として以外の娯楽施設としてのプロモーション含まれた。地元紙で球団結成計画知ったカントリー・ミュージック・スターのコンウェイ・トゥイッティの助力得て、シュミトウはラリー・ゲイトリン、ジェリー・リードなどプロアーティストの他、ナッシュビル市民サウンズ株主とした。 ナッシュビルダウンタウンの南にあるフォート・ネグリー・パークのセント・クラウド・ヒルのふもとにできた新球場ハーシェル・グリア・スタジアム本拠地とした。市内野球チーム復活したことにファン喜び観客数サザンリーグの中で7シーズン1であった1980年総観客数合計575,676名を記録したチーム名1950年代後期の、この地域ルーツとするアメリカン・カントリー・ミュージックのサブ・ジャンルであるナッシュビル・サウンドから名付けられた。サウンズロゴ色合いアメリカン・バスケットボール・アソシエーション(ABA)のボルチモア・クロウズになる直前メンフィス・サウンズ1974年1シーズンのみ使用していたもの似ていた。1976年にABAがNBA合併した際、いくつかの著作権放棄合意したため、ナッシュビル・サウンズがこのロゴ問題なく使用できるようになったメンフィス・サウンズの赤と白に青が加えられた。1978年から1997年まで使用されナッシュビル・サウンズロゴナッシュビルカントリー・ミュージック業界関連していることを表していた。口ひげ生やした野球選手が、カントリー・ミュージック必需品であるギターバット見立ててボール打っている様子描かれていた。また、Sounds」の「S」をト音記号似せ、市と音楽との繋がり表現していた。1981年から1984年、シュミトウはアイスホッケーマイナーリーグのナッシュビル・サウス・スターズを所有しており、ホッケーテーマにしているがギター振っている様子サウンズロゴ似ており、色合いナショナルホッケーリーグミネソタ・ノーススターズ似たと金色である。 1978年4月26日サウンズ最初ホームゲームが行なわれ、完売の8,156名が見守る中サバンナ・ブレーブスと対戦して12対4で勝利した当初前日4月25日予定されていたのだが、により延期されていた。球場完成時間が必要であったため、球団チャタヌーガ・ルックアウツ交替しシーズン開幕戦を遠征先で行なうことを提案した試合日、トラクターなどの重機がまだ作業続行し電気点灯したのは開門5分前であった芝生到着が遅れ、総支配人のファレル・オウエンズが地元ラジオ局で「芝生パーティ」を行なう語りファン推定50名の助け得て試合予定前日貼った。レッズダブルAとしての1年目である1978年サウンズは第9位となったが、380,000名を集客して全てのマイナーリーグ野球中でも首位となった。 翌1979年、ジョージ・シャーガー監督のもと、サウンズ開幕試合散々なものであった5月6月には31試合中20試合勝利したシーズン前半は首位であったが、その後ライバルである州内のメンフィス・チックスに次いで第2位となった最終日サウンズチックスダブルヘッダーで再び対戦し、2回ともサウンズ勝利した。2チームその後ウエスタン・ディヴィジョン決勝戦3試合再度試合することとなったサウンズは2対1で優勝しサザンリーグ決勝戦進出してコロンバス・アストロズと対戦した。3対1でアストロズ征しナッシュビル復帰初のリーグ優勝達成した1979年チームはサザンリーグ・オールスター・ゲームを主催したリーグ選抜選手メジャー・リーグアトランタ・ブレーブス対戦し、5対2でオールスター勝利したナッシュビルのデュアン・ウォーカーがMVPとなった。 元々、レッズナッシュビル指名打者ラインナップ使用することを認めていた。しかしレッズが、指名打者使用しないナショナルリーグ加盟したため、これを取り消した。ラリー・シュミトウ会長最後通告として、もしシンシナティ指名打者使用認めないであればサウンズ契約更新せず、新たなメジャーリーグ・チームを探す通達した。レッズ指名打者禁止破棄しなかったため、1979年シーズン後提携解消して新たな提携先探すことになった。シュミトウはその後5〜6球団接触した

※この「レッズ時代1回目 (1978年-1979年)」の解説は、「ナッシュビル・サウンズ」の解説の一部です。
「レッズ時代1回目 (1978年-1979年)」を含む「ナッシュビル・サウンズ」の記事については、「ナッシュビル・サウンズ」の概要を参照ください。

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