ルターの思想
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「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「ルターの思想」の解説
詳細は「マルティン・ルター」を参照 ルターの思想は古代(初期キリスト教)のアウグスティヌスの思想から決定的な影響を受けている。その要点を示すと、信仰における個人主義と内面の尊重、自由意志の否定、「二王国論(英語版)」である。 ルターはアウグスティヌスに従って人間の原罪を重視し、人間は本質的に罪人であるうえに神の絶対的支配の下にあるのだから、神の意志を超えた人間の意志による善行があるとすれば、それによって救われるのではないとして自由意志を否定し、ただ神の恩寵(恵み)によってのみ救われることが可能であるとした。これは善行を積むことによって救われると説く当時のカトリック教会に異を唱えるものであり、この神の恩寵に与るためにはひたすら神を信頼して信仰を寄せることにより、救いに至ることができるとした。すなわち、これが上述した「信仰義認」であり、ルターは「塔の体験」を通じて神の義とは神が罪人を罰する「能動的な義」ではなく、罪人が罪あるままで神から無償の賜物として与えられる義、すなわち「受動的な義」であることに目覚めたのである。そして、この神と個人との間に介在するものはなく、ここから万人司祭主義、神の前での信仰における人間の平等、聖職者の特権の否定が説かれる。従来、教義を含めた信仰の根拠は教会に求められていたのに対し、それを聖書にあるとしたルターは、教会の教えであっても聖書に記載のないものは神の言葉ではないと主張する。「聖書のみ」の考え方がそれで、聖書に根拠のないマリア崇拝や煉獄、秘蹟を排除する一方、聖書をドイツ語に訳して一般信徒も読めるようにし、教会が独占していた聖書の解釈も万人が自由におこなってよいと述べた。以上のように、ルターは聖書解釈や信仰における教権の優位性を否定したが、彼は神の言葉への奉仕者としての牧師(教師)職は必要とも考えた。 政治社会との関係でいえば、「二王国論」が重要である。ルターは神がこの世界に二種の支配(2つの王国)を作り出したといい、1つは霊的な教会で目に見えないものにしてキリスト教徒のみに許されているという。もう1つは世俗的な剣の支配で、これはキリスト教徒に限られず世界のあらゆる民族を包含している。ルターはキリスト教に反しない限り世俗支配は積極的に受け入れるべきであると説くが、教皇もしくは皇帝が違反した場合にはこれに抵抗できるとしている。すなわち、ルターはキリスト教世界の問題としてこれを考えていたにもかかわらず、宗教権力の優越という考え方には異議を唱え、結果的に政治的なものを利することになったのであり、ある意味では政教分離の強力な推進者となった。とはいえ、ルターはあらゆるキリスト教徒が抵抗の主体となることを認めているわけではなかった。抵抗の主体となりえるのは、自らの領民をキリスト教のもとに保護する責務がある諸侯のみである。しかも、世俗法において皇帝と諸侯は契約によって関係を結んでいるから、同等であるとする。農民などの民衆は皇帝と対等ではないので、抵抗すれば反乱となる。これは結果として信仰における諸侯の絶対的権限および領邦教会制度(後述)を理論的に認めるものであり、ルターの社会的・政治的見解はきわめて保守的なものであった。
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