ルターの意図は?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:19 UTC 版)
上述の通り、ルターはそもそも公に教会を攻撃することを意図していたわけではなかった。ルターは神学者との討論を呼びかけただけであり、その討論を通じて、教会の枠内での穏やかな改革を意図していた。だから、意図とは違う形で一般庶民を中心に大騒ぎになってしまった直後、ルターはブランデンブルク司教に対して、主張の訂正を行い、全面的な撤回すらほのめかしている。 しかしルターの意図とは裏腹に、「贖宥状批判」はドイツ中に知れ渡ったとされる。現代でも一般的には「ルターが贖宥状批判を行った」とされている。しかし、ルターが95ヵ条の提題を通じて論じようとしたのは、純粋な神学上の教理であった。95ヵ条は全体として体系的でもないし、大半はルターの「独り言」のような文言だった。贖宥状販売の問題はその中のほんの一部にすぎなかった。 ルターが特に議論を望んだのは、贖宥状の販売そのものではなく、救済と良心の概念についてだった。教理では、告解、悔悛の後に罰が与えられ、その罰が贖宥されるという手順であって、告解や悔悛を省いて贖宥にたどり着くはずはない。だからルターは贖宥状を販売する教会を批判しただけではなく、贖宥状を購入する民衆も批判した。 32 贖宥状によって自分たちの救いを得られたと信ずる者たちは、それを説いた説教師とともに、永遠の罪を受けるであろう。 — ルター、95ヵ条の論題の32(『世界の歴史6近代ヨーロッパ文明の成立』p67より) しかし実際には、ルター自身は贖宥状について直接見聞きしたことはなく、すべて贖宥状を買った庶民からの又聞きでしかなかった。贖宥状を売りまわったドミニコ会修道士テッツェルが謳い文句にしていたという「グルデン金貨がチャリンと言えばたちまち魂は天国へポンと飛び上がる」という口上は、実際にテッツェルが言ったものではなく、ルターが「テッツェルはこう言っているらしい」として述べたものだった。そしてルターはこの贖宥状のからくりまでは知らなかった。マインツ大司教アルブレヒトのこともよく知らなかったし、まして教皇レオ10世のことは知らず、彼らがこの贖宥状の販売を企画した張本人であることは知らなかった。ルターは、レオ10世は善良なる聖職者であり、無垢な教皇が悪い部下に騙されているのだと信じきっていた。 50 もし教皇が贖宥説教者たちのする取り立てを知っていたなら、彼は聖ペテロ聖堂が自分の羊たちの皮、肉、骨で建てられるよりむしろ、灰と消えることを選ぶということを、キリスト者は教えられねばならない。 — ルター、95ヵ条の論題の50(『宗教改革小史』p80より) 実際のところ、マインツ大司教もローマ教皇も、神学者として教理に通じた人物ではなかった。マインツ大司教アルブレヒトはホーエンツォレルン家の王子で金で地位を買っただけであり、メディチ家の人物であるローマ教皇レオ10世は外交に長けていたが神学者ではなかった。だから彼らのところに文書が回ってきても自力で判断することはできず、専門の神学者に回して意見を聞くしかなかった。 当時はそもそも「贖宥」については神学の中でしっかりと位置づけられてはいなかった。アウグスティヌス修道院でルターに神学を教えた聖職者たちも贖宥については知識をもっていなかった。
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