ルターによる主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 14:04 UTC 版)
マルティン・ルターは『ドイツ国民のキリスト教貴族に与う』にてカトリックについて以下の批判を行っている。教皇、司教、司祭、修道士たちは教会的身分で王侯、貴族、手工業者、農民などは世俗的身分と偽りの区別を行っているが、キリスト教徒はすべて教会的身分に属するのであって互いに職務上以外の面からは区別されない。コリントの信徒への手紙一12章12-13節にあるようにおのおのが固有のわざをもっていて、それによって奉仕し合う関係である。また、万人祭司はペトロの手紙一2章9節、ヨハネの黙示録5章9-10節からも支持されるとしている。司教による聖職者の叙品は同じ権能を持つ人々の集まり全体の代理として選び出し、権能の行使を委ねることである。 12:12からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 12:13なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。 — コリント人への第一の手紙12章12-13節、『口語訳聖書』より引用。 2:9しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。 — ペテロの第一の手紙2章9節、『口語訳聖書』より引用。 5:9彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、 5:10わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 — ヨハネの黙示録5章9-10節、『口語訳聖書』より引用。 ルターはたとえ話を用いてこのことを展開する。キリスト者平信徒のささやかな群れが捕虜として荒野に連れて行かれたとすると司教に叙品された司祭はその中にいないため一人を選び出して洗礼を授け、ミサをあげ、罪を赦免し、説教を行う職務を委ねることになるだろう。これは万人祭司の考えがなければ不可能なことである。ただし誰にでもこの職務を果たすことがふさわしいとされるわけではないし、またすべての人が平等に祭司であるから自分から出しゃばって引き受けるということは許されず、共同体の同意と委任なくしてこの職務を果たすことはできない。また、司祭を辞した人は単なる平信徒となる。 逆に平信徒も世俗の政治権力者は剣と鞭を持って悪人を処罰し、善人を保護するわざを持つし、靴屋、鍛冶屋、百姓のような仕事をしている者はその職務とわざによって互いに仕え合うのである。 職務が委ねられている者がいる場合もコリントの信徒への手紙一14章30節にあるように、職務についている者の言葉だけを聞かなければならないわけではなく共同体全体で啓示を語り合うべきなのである。 14:30しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。 — コリント人への第一の手紙14章30節、『口語訳聖書』より引用。 またルターは3ヵ月後に書かれた『教会のバビロニア捕囚』でもこれを強調した。
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