福音主義運動としての宗教改革とは? わかりやすく解説

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福音主義運動としての宗教改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「福音主義運動としての宗教改革」の解説

騎士戦争」および「ドイツ農民戦争」も参照 ルター宗教改革福音主義運動という性格濃厚に有しており、その教義は彼個人思想超えてはるかに複雑な様相呈した。このことは、一つには聖職者対す失望幻滅長い歴史産物でもある、一般信徒における根深い反聖職者主義援用されたことにも由来している。聖職者たちは偽善暴君的行為詐欺働き、あるいは一般信徒宗教心食いものにし、不当な報酬請求不必要な取り立て人々困窮させているという理由から攻撃対象となったうえ、「福音の敵」すなわち悪魔同盟者として描かれ、その最たるものローマ教皇とされた。教皇悪魔目的のためにドイツ人々搾取し地理的に形而上学的にも「外部の人」とされた。逆にいえば、俗人救いのためにもはや聖職者を必要とせず、キリスト教徒個人において聖書通じて神と直接出会い救い自由に得られることでもあった。 1520年ルター宗教改革三大文書、『教会バビロン捕囚』『キリスト者の自由』『ドイツ国民キリスト教貴族与える書』によって改革理論と実践固めた。とくに『ドイツ国民キリスト教貴族与える書』では、ドイツの諸侯対し、その職務基づいて改革運動に加わるよう呼びかけたため、結果的に政治への関与促したローマ教皇レオ10世1520年6月ルター教説批判する勅書発布したが、ルターはこれを公然と火中投じ1521年1月には上述たようにレオ10世から破門された。ルターかくまったフリードリヒ賢公神聖ローマ皇帝カール5世スペイン王としてはカルロス1世)と交渉し皇帝保障する全通交証のもとにヴォルムス帝国議会ルター査問させることとした。 1521年4月17日ヴォルムス帝国議会査問受けたルター主張の撤回拒否して「私はここに立つ」とその決意述べたことは、よく知られている。皇帝カール5世1521年5月26日ヴォルムス勅令発しルターとその教説に従うこと、その著作印刷または頒布することを禁じルター異端者として処罰すること、彼の逮捕協力した者に報酬与えることなどを伝えた。 しかし、宗教改革決しルター個人によって担われたわけではなかった。上述したエラスムスジャック・ルフェーヴル・デタープルといった人文主義者活発に聖書の翻訳解釈勤しみ、宗教改革温床となった宗教改革が「エラスムスが卵を産みルターがそれを孵化したといわれる所以である。すでに宗教改革予告するような思想表明していたエラスムスローマ教会外形的な儀式などはどうでもよいものとして退け当初ルターに対して好意示していたが、「自由意思」の問題めぐって鋭く対立した彼からの反論もあり、1524年には決別した。後述するフルドリッヒ・ツヴィングリ一時期ルター支持するがのちにツヴィングリのもとに逃れるウルリヒ・フォン・フッテンルターの思想体系化尽力したフィリップ・メランヒトンのほか、ヨハン=エバーリン・フォン・ギュンツブルク(英語版)なども大きな役割果たしたルターのもとに集まった人々のもと、メランヒトンルターとほぼ同じ路線改革進めたが、聖職者独身制廃止し、より簡素なミサ始めたヴィッテンベルク教授アンドレアス・カールシュタット(英語版)はルター対立するまでとなり、さらに「すべての聖職者殺せ」と主張するツヴィカウ急進派なども出てきた。「ツヴィカウ預言者」と呼ばれる一群こうした過激な行動を、ルター抑えようとしている。 1522年ルター支持困窮する騎士階級貴族階級人々フッテンらによる指導のもとで蜂起しドイツの自由と真の信仰実現求めて各地戦闘したが、1年後には鎮圧された。これが「騎士戦争」である。また、ツヴィカウ預言者」のひとりであるトマス・ミュンツァーは、大胆な社会変革なしに宗教上の改革実現不可能だとして立ち上がり、これに共鳴した貧農大規模な農民一揆起こしミュンツァー指導されドイツ農民戦争1524年-1525年)に発展した。ここでは、農民たちによって牧師自由に選択する権利教会税軽減農奴制廃止要求事項として掲げられた。当初ルター農民同情的だったが、現世の国のことは世俗権力委ねるべきだとし、戦闘やめない農民を「狂犬」と呼んでシュヴァーベン同盟軍による農民鎮圧加勢した。ミュンツァールター対立決定的となり、ルターミュンツァーを「アルシュテットの悪魔」と呼びミュンツァー側は諸侯に対して妥協的なルターを「うそつき博士」と罵倒した

※この「福音主義運動としての宗教改革」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「福音主義運動としての宗教改革」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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