福音を滅ぼす者との戦い?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 21:26 UTC 版)
「騎士戦争」の記事における「福音を滅ぼす者との戦い?」の解説
翌1522年6月、ジッキンゲンはエーベルンベルク城にてエコランパッドによる聖体拝領を受けてルター派に改宗した。この典礼にはラテン語ではなくドイツ語が用いられた。そのうえでオーベルライン地方の騎士たちをまとめあげ、8月に「友愛同盟」を組織した。 ジッキンゲンは、「福音を滅ぼそうとする者と戦う」と称し、ルターを擁護してカトリックを覆滅しようと言って、友愛同盟を率いてカトリック勢力に戦いを仕掛けた。フッテンはジッキンゲンのことを、下層民を虐げる諸侯に対する「神の鞭」であり、「第二のジシュカ」であると賛称した。 この戦いを「騎士戦争(Ritterkrieg)」や「騎士の乱(Ritteraufstand)」などと言うが、ジッキンゲンが企てた戦いが何であったかは評価が分かれている。結局のところこれはいつもの金目当ての「フェーデ」でしかないものだったとみなす見方があり、この立場では、ジッキンゲンにとって宗教改革は、傭兵に収入をもたらす戦争を増やすものとか、「略奪を行う千載一遇の好機」でしかないものだったということになる。この立場では、ジッキンゲンの行動は純粋な信仰心の為せる業ではなく、宗教問題は口実だった。また、この戦いは軍事的・経済的に追い詰められた騎士階級が、聖界諸侯の領地を分捕って領邦化し、自分たちの地位を向上させようとした政治的社会的経済的独立運動だったという見方もある。この観点では、騎士戦争の翌年に起きる農民戦争とあわせて、新しい信仰に基いて社会体制を変革しようとした試みだったということになる。しかしルターその人自身は、「キリスト者の自由」はあくまでも信仰上の内面の問題に逗まると考えていた。したがって、社会的弱者である農民や騎士がルターの思想を社会的抑圧からの解放者として迎えたのは誤解であり、ルターにとっては意に沿わぬ形で主張を利用されたことになる。この意味ではやはり、この戦争における信仰問題は「口実」だったということになる。このように、騎士戦争は宗教改革を政治目的で利用した最初の好例、とみなされている。
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