ミサイル化とガスタービン化 (1950-70年代)
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「駆逐艦」の記事における「ミサイル化とガスタービン化 (1950-70年代)」の解説
大戦を通じて駆逐艦の防空・対潜戦能力の強化が図られていったが、この時期には、高速で機動する空母機動部隊はおおむね潜水艦の脅威を回避できていた。しかし大戦末期にUボートXXI型のような水中高速潜が登場したことで、戦後には、これらの艦隊護衛艦でも対潜戦能力が求められることになった。一方で経空脅威は引き続き増大していたが、戦後のアメリカ海軍の検討では、大戦型駆逐艦の船体規模では対空兵器を維持しつつ対潜戦能力の強化を図ることは困難であることが判明した。雷撃戦の重要度低下や対潜兵器の性能向上に伴って船体規模を抑制する必要性は乏しくなっており、新世代の高速艦隊護衛艦のプロトタイプとして1948年度計画で発注されたミッチャー級では、満載排水量4,800トン強まで大型化した。しかし流石に高価すぎて量産化は断念され、1953年度計画からは、フレッチャー級系列を元に発展させたフォレスト・シャーマン級の建造が開始された。また1959年からは、フレッチャー級以降の大戦型駆逐艦に対して、艦齢延長と対潜戦能力の向上を主眼とする近代化改修 (FRAM) を開始した。 この時期には新しい対空兵器として艦対空ミサイル(SAM)が登場し、当初は大戦型巡洋艦を改装して搭載されていたが、後には上記のミッチャー級を元に大型化した嚮導駆逐艦(Destroyer leader, DL; 後のフリゲート)に搭載されるようになった。更に1957年度計画からは、コンパクトなSAMシステムとして新開発されたターター・システム搭載のミサイル駆逐艦(DDG)として、チャールズ・F・アダムズ級の建造が開始された。また各国も競って同ミサイルの導入を図ったものの、高性能とはいえあまりに高価であり、導入は一部のミサイル駆逐艦に限られた。 イギリスでは大西洋の戦いの記憶が鮮烈であり、大戦直後の水上戦闘艦としては船団護衛のためのフリゲートの建造が優先されたため、艦隊駆逐艦の建造はしばらく途絶えていた。その後、1955年度計画では同海軍初のミサイル駆逐艦としてカウンティ級の建造が開始されたが、同級では機関の軽量化などのためにガスタービンエンジンが導入されたほか、艦載ヘリコプターの運用にも対応した。その後、第二世代のミサイル駆逐艦として建造された42型駆逐艦では、21型フリゲートに準じたCOGOG方式の機関が搭載されたが、搭載機は小型のリンクスとなった。駆逐艦へのヘリコプターの搭載という点ではカナダ海軍が熱心で、まずサン・ローラン級を端緒として、護衛駆逐艦にシーキングを1機ずつ搭載したのち、イロクォイ級では同型機2機の搭載に対応した。また同国製の着艦拘束装置を導入した海上自衛隊では、イロクォイ級とほぼ同時期に建造したはるな型で同型機3機の搭載に対応したが、駆逐艦でこれほど強力な航空運用能力を備えるのは、世界的にも他に例がないものであった。 冷戦構造のもとで西側諸国への対抗を図っていたソ連海軍も、初の新造ミサイル駆逐艦として61型(カシン型)を開発し、1962年より配備を開始した。また同型は、世界初のオール・ガスタービン推進大型艦でもあった。ただし同型を駆逐艦とするのは西側による分類であって、ソ連海軍自身は大型対潜艦(BPK)と類別していた。これと並行して、カシン型と同じSAMに加えて長射程の艦対艦ミサイル(SSM)も搭載した58型(キンダ型)の開発が進められており、こちらは駆逐艦とされていたが、後にミサイル巡洋艦(RKR)に類別変更された。 アメリカ海軍のミッチャー級。異例の大型駆逐艦であった。 アメリカ海軍のアダムズ級。初のターター搭載DDGであった。 ソ連海軍の61型(カシン型)
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