防空・対潜戦能力の強化 (第二次世界大戦中)
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「駆逐艦」の記事における「防空・対潜戦能力の強化 (第二次世界大戦中)」の解説
第二次世界大戦において、ドイツ海軍のUボートや空軍の攻撃に直面して、イギリス海軍は開戦時の駆逐艦保有数の90パーセント以上にあたる159隻を喪失したが、そのうち.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}3⁄4が大戦前半の1942年までに失われるという、壊滅的被害を受けた。この状況に対し、イギリス海軍は、アメリカから譲渡された旧式駆逐艦をタウン級駆逐艦として再就役させるとともに、あえて性能を一定程度妥協した戦時緊急計画型駆逐艦(英語版)の量産を進めていった。また既成艦を含む戦時中のイギリス駆逐艦の多くは、雷装の一部を撤去して対空兵器を増備するとともに、対潜兵器や新型の探信儀および短波方向探知機の搭載、レーダーの更新・増備を進め、主力部隊の随伴用から対空・対潜重視の汎用艦へと変貌していった。 日本と違ってアメリカ駆逐艦は第二次ロンドン海軍軍縮会議の制約を受けていたが、そのような不利な条件にも関わらず、早期から両用砲の搭載を志向した。その後、1941年度からは、軍縮条約の制約から脱したフレッチャー級の大量建造に着手した。アメリカの優れた工業力を背景として、同級は兵装と航洋性をよくバランスした優秀な艦隊型駆逐艦となり、アレン・M・サムナー級、ギアリング級と順次に設計を改訂しつつ、3クラス合計341隻が建造された。またこれらの艦隊型駆逐艦と並行して、護衛駆逐艦の大量建造も開始された。これは大戦初期の対潜戦の実態やイギリスのハント級などを参考に、艦隊型駆逐艦を簡素化するかたちで開発されたもので、1943年3月末より就役を開始し、戦後の完成艦も含めて合計563隻が竣工した。なおイギリスでは、戦時急造に対応した船団護衛艦としてリバー級フリゲートを開発して近代フリゲートの嚆矢とし、アメリカもこれを原型としたタコマ級を建造したが、これらのフリゲートは、その当初から、駆逐艦との区別は曖昧なものであった。 一方、日本海軍では開戦後も駆逐艦の主任務を魚雷攻撃に置いており、また現に雷装に優れた日本駆逐艦は、搭載する酸素魚雷の特質を生かして、局地的夜戦ではその能力を遺憾なく発揮していた。しかし航空優勢が逐次に失われ、またアメリカ軍潜水艦の行動が活発になるとともに、対空・対潜能力の弱さを露呈しつつあった。1942年夏期以降、アメリカ軍の反攻が本格化すると駆逐艦の損耗が激増、また秋にアメリカ艦隊がレーダーの装備化を進めたことで、夜戦の優勢も覆り、雷装を主体とした既存の駆逐艦の存在意義は急速に薄れ始めた。これらの情勢を踏まえて、1943年以降は汎用性・量産性に優れた松型に移行したものの、量産の前提となる新型機関を欠いたために鴻型水雷艇の主機を採用せざるを得ず、速力と航続力が弱点となった。 英海軍のO級。戦時緊急計画型駆逐艦の第一陣である。 米海軍のフレッチャー級駆逐艦 日本海軍の松型駆逐艦
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