マキノのスターキャメラマンとしてとは? わかりやすく解説

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マキノのスターキャメラマンとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 09:14 UTC 版)

三木滋人」の記事における「マキノのスターキャメラマンとして」の解説

1902年明治35年12月26日愛媛県生まれる。 1916年大正5年)、わずか14歳にして東京・大久保M・カシー商会入社同年先代萩床下』の撮影初め任された。同社同年内に解散しその後の経緯不詳だが、21歳となる1923年大正12年)、西宮東亜キネマ甲陽撮影所入社1925年大正14年1月22日公開桜庭喜八郎監督の『母』に撮影技師三木稔」としてクレジットされている。当時すでに、牧野省三マキノ映画製作所等持院撮影所)は東亜キネマ合併されており、牧野等持院・甲陽の両撮影所であったが、同年6月牧野京都御室撮影所建設して独立その際三木小笹正人新所長による甲陽撮影所残ったその後半年過ぎた10月阪田重則監督谷崎潤一郎原作お艶殺し』の岩岡千里共同撮影したのを最後にマキノ・プロダクション御室撮影所移籍した三木マキノ入社第1作は、同年11月公開され曾根純三オリジナル脚本による監督作寺小屋騒動』で、松尾文人井上潔(のちのマキノ潔)ら子役活躍する時代劇で、しばらく曾根監督作キャメラ担当した1926年大正15年7月にはマキノ省三人見吉之助共同監督作赭土』のキャメラマン抜擢される。同作は、マキノ輝子武井龍三マキノ正唯(のちの映画監督マキノ正博)らハイティーン俳優活躍する映画であり、この時期同世代ややや年少俳優との交流、とくに6歳下のマキノ正博との密接な関わりが、翌1927年昭和2年)、マキノ正博監督デビュー第3作週間苦行』への三木オリジナルストーリーの提供に結びつくストーリーシナリオ作家として三木は、1927年から1928年昭和3年)に限られオリジナルストーリー多く久保為義脚本化しマキノ正博監督している。1928年初め書いたコメディ脚本八笑人』は三木キャメラ回しマキノ正博監督杉狂児主演している。また、同年の「マキノ青年派売り出し映画神州天馬侠』の第三篇第四篇は、第一篇第二篇監督した曾根退社しヴェテラン吉野二郎監督交代、「椎名良太」のペンネーム脚本執筆した曾根代わり三木ひきつづきキャメラを回すと同時に吉川英治原作脚本化している。 嵐長三郎こと嵐寛寿郎マキノ入社第1作は、曾根マキノ退社する前の1927年に手がけているが、脚本山上伊太郎同作抜擢され三木山上との初仕事となった1928年4月 - 5月片岡千恵蔵、嵐長三郎らの俳優退社事件日本映画プロダクション連盟の項を参照)ののちもマキノ残りスタア去りしのちのマキノ御室撮影所新しスタア生み出すべくつくられた『浪人街 第一話 美しき獲物』を撮影技師超えて協力し20歳マキノ正博監督25歳山上伊太郎脚本とともに撮影三木26歳含めた3人は「新鋭トリオ」、「青春トリオ」とも称された。これは俳優だけではなく映画作家映画技術者をもスタアにするマキノ戦略でもある。前年名古屋埋立地建てられマキノ中部撮影所長に当時18歳マキノ正博就任したように、わずか26歳三木は、撮影部長に就任する1929年昭和4年7月25日牧野省三没後長男の正博を中心とした新体制発表され撮影部一員として名を連ねる。翌1930年昭和5年7月13日公開された正博・久保共同監督作嬰児殺し』のカメラ最後に同社では作品発表していない。当時同社は、年末賃金不払いとそれに抗議するストライキ起こり明けて1931年昭和6年1月には細々映画製作再開されるが、この時期のどこかで三木同社退社帝国キネマ帝キネ)に移籍している。

※この「マキノのスターキャメラマンとして」の解説は、「三木滋人」の解説の一部です。
「マキノのスターキャメラマンとして」を含む「三木滋人」の記事については、「三木滋人」の概要を参照ください。

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