マキノ青年派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:06 UTC 版)
省三が経営したマキノ・プロダクションでは、「マキノ青年派」というアイドル的くくりで若手スターを売り出したことがあり、その際に、省三が彼らに「マキノ」の姓を冠したが、どの人物も「マキノ家」との血縁・婚姻、あるいは養子の関係もない。 マキノ潔 マキノ久夫 マキノ登六 マキノ正美 マキノ梅太郎 このうち「マキノ梅太郎」こと中村梅太郎は「マキノ青年派」売り出し中の1928年(昭和3年)4月に退社し、田川通(のちの大河内龍)が「二代目マキノ梅太郎」となった。したがって、マキノ家ではないマキノ姓の俳優は都合6人存在したことになる。また、マキノ正美は、のちに俳優を廃業して実業家に転向したのちも、省三に名づけられた名を、生涯を通じて名乗った。
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