マキノ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:04 UTC 版)
1926年(大正15年)4月1日、マキノを退社して東亜キネマに入社。同年10月2日には松竹下加茂撮影所に加入し、松竹と提携して請負製作をしていた衣笠映画聯盟の作品に出演する。聯盟の第1作『照る日くもる日』ではヒロインを演じ、『稚児の剣法』では林長二郎の相手役に起用される。続いて『お嬢吉三』『乱軍』でも林と共演するが、1927年(昭和2年)4月16日、千早晶子が林の相手役として入社したことに不服を懐き脱退。勝見庸太郎が牧野の使いでマキノ復帰をすすめに来たこともあり、即座にマキノへ戻る。井上金太郎監督の『いろは仮名四谷怪談』、牧野監督の『忠魂義烈 実録忠臣蔵』、マキノ正博監督の『浪人街 第一話 美しき獲物』などの時代劇出演し、吉野二郎監督の『夏の夜の唄』以降は現代劇が中心となる。1929年(昭和4年)、マキノの映画監督の仁科熊彦と、小笹正人の媒酌で結婚。
※この「マキノ時代」の解説は、「岡島艶子」の解説の一部です。
「マキノ時代」を含む「岡島艶子」の記事については、「岡島艶子」の概要を参照ください。
- マキノ時代のページへのリンク