マキノ映画時代とは? わかりやすく解説

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マキノ映画時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 04:18 UTC 版)

衣笠貞之助」の記事における「マキノ映画時代」の解説

同年11月25日国際活映再建のための引き抜きで、衣笠藤野横山島田嘉七新井淳東猛夫12名の俳優とともに日活退社国活巣鴨撮影所坂田重則監督の『鷲津の娘』『老僧の恋』などに出演するが、1923年大正12年)に国活退社し同志数人連鎖劇団の衣笠貞之助一座結成する滝野川中里オープンセット自作自演の『悲しき結婚』を撮り群馬県から愛知県実演巡業した同年名古屋出演中に再び牧野招かれ創立したばかりのマキノ映画製作所参加。同製作所第1回作品の『二羽小鳥』は『妹の死』の再映画化で、同社最初封切作品一本であった以後監督専門となり、現代映画監督はほとんど衣笠一手引き受けた大作金色夜叉』は前後からなり後篇セット撮影中に関東大震災遭遇1924年大正13年)に森岩雄シナリオによる『恋』『寂し』を監督するが、前者風俗好ましくないとの理由後者馬車タクシー生存競争社会的に刺激をあたえるとの理由で、地方では警察から上映禁止になるところもあった。そのほか初の時代劇映画となった』、阪東妻三郎主演の『恋と武士』などを撮った1925年大正14年)、直木三十五設立しマキノ提携した連合映画芸術家協会第1作で、沢田正二郎主演の『月形半平太』を監督沢田多忙なスケジュール合間を縫って不眠不休でわずか8日間のうちに撮影完了した作品だが、新国劇当り狂言映画化ということもあり大ヒットした。続いて市川猿之助主演で『日輪』と『天一坊伊賀之亮』を監督前者卑弥呼題材したものだが、卑弥呼当時神功皇后天照大神だったという説があったため、右翼団体が「皇室冒涜した」として不敬罪告訴するという騒動発生し上映中止された。

※この「マキノ映画時代」の解説は、「衣笠貞之助」の解説の一部です。
「マキノ映画時代」を含む「衣笠貞之助」の記事については、「衣笠貞之助」の概要を参照ください。

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