マキノ青春トリオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:34 UTC 版)
「マキノ・プロダクション」の記事における「マキノ青春トリオ」の解説
このなか、いわゆる「マキノ青春トリオ」と呼ばれたマキノ正博(当時20歳)、山上伊太郎(当時23歳)、三木稔(のちの三木滋人、当時25歳)の若いスタッフが、『蹴合鶏』、『浪人街 第一話 美しき獲物』、『崇禅寺馬場』と立て続けに傑作を連作、この3本は同年の『キネマ旬報』誌のベスト・テン上位を独占する快挙となった。 同年11月、マキノ省三はトーキーの研究を開始。前年、ハリウッドで世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927年)が全米公開されたのを見てのことだった。1929年(昭和4年)7月5日、先駆的な国産ディスク式トーキーである『戻橋』(監督マキノ正博)が公開される。そのわずか2週間後の同年7月25日、牧野省三が50歳で死去、御室撮影所で盛大な社葬が行われた。
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