ベルリン陥落 1945
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ベルリン陥落 1945 | |
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Anonyma – Eine Frau in Berlin | |
監督 | マックス・フェーベルベック |
脚本 | マックス・フェーベルベック |
原作 | 『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』 |
製作 | ギュンター・ロールバッハ |
製作総指揮 | マーティン・モスコウィック |
出演者 | ニーナ・ホス エブゲーニ・スジヒン |
音楽 | ズビグニエフ・プレイスネル |
撮影 | ベネディクト・ノイエンフェルス |
編集 | ユア・J・リンド |
公開 | ![]() |
上映時間 | 131分 |
製作国 | ![]() ![]() |
言語 | ドイツ語 ロシア語 |
『ベルリン陥落 1945』(ベルリンかんらく1945、原題: Anonyma – Eine Frau in Berlin)は、2008年のドイツ・ポーランド合作映画。ベルリンの戦い前後のベルリンを舞台としている。
概要
原題は、『Anonyma –Eine Frau in Berlin』( 匿名-あるベルリンの女性)である。あるドイツ人女性を中心に、1945年4月末のベルリンに侵攻してきたソビエト赤軍兵士らの強姦および敗残兵狩り、そして、ドイツ人市民とソ連軍兵士の対話を描いた作品である。
原作本の経緯と映画化
ベルリン陥落時34歳の匿名ドイツ人女性の手記が、1954年にアメリカ合衆国で出版されて売れた。1945年4月20日より6月22日までの日付となっている。ついで1955年に英国で出版され、1959年に本来のドイツ語でスイスで出版されたが、ドイツ人男性が強姦などの事態に手をこまねていた点が反撥を受けたためか、手記をまとめた女性に対して西独では非難がなされた。60年代末頃から女性運動の高まりとともにベルリンなどでコピーが読まれ出したが、彼女自身は生前は再出版を望まなかった。そのため、2001年の彼女の死後、2003年に著者名を明かさないということでドイツの詩人ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーにより、ようやく再出版された。著者は女性ジャーナリストのマルタ・ヒーラーとみられている。この本の日本版は2008年に白水社から『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』とのタイトルで出版されている。なお、同じ白水社から2004年に映画と同名の『ベルリン陥落 1945』という本が出版されているが、これは英国の作家アントニー ・ビーヴァーによって書かれた全く別の戦史ノンフィクションである。アントニー ・ビーヴァーは、本項映画の原作のほうである『Anonyma –Eine Frau in Berlin』の2004年の英語版の再出版に際し序文を寄せていて、これは日本版にも収録されている。[1]
2008年、マックス・フェーベルベック監督により、このドイツ人女性の手記が映画化された。ベルリン陥落前後のベルリン市民の苦悩が、イメージとして浮かび上がる内容となっている。ソビエト軍兵士の台詞はロシア語となっている。
日本では、日本語の字幕がつけられたDVDがリリースされている[2]。
あらすじ
その女主人公は、ジャーナリストであった。ロシア語を話すことができた。夫のゲルトがドイツ軍兵士として出征するのを祝った。
1945年4月末、ベルリンに侵攻してきた赤軍が、ドイツ軍兵士が抵抗している箇所の制圧に当たる。ソビエト軍兵士が、主人公女性のいるアパートに入ってきた。彼らの中には、女性に乱暴を働くものもいる。止めさせるともできない住人たち。主人公女性も、乱暴されたが、取り仕切る赤軍将校たちに取り入り、自分たちの安全を確保しようとする。最初は「たった数分のことだ、たいしたことはないのに」とアンドレイ少佐は言う。
初老のドイツ人男性を激しく殴打している赤軍兵士に対して、アンドレイ少佐は格闘して止めさせるのと同時に、武器を隠し持つ者およびそれをかくまう者を銃殺するということを宣言する。
1945年5月2日、ドイツのヴァイトリング司令官が、ベルリンでの降伏を宣言しドイツ人兵士の投降を指示する。赤軍兵士は歓喜する。強姦しようとしたソビエト軍兵士に対して発砲したドイツ軍敗残兵が見つかる。責任は、敗残兵とその妻として、他のものにはお咎めなしと、アンドレイ少佐は決定する。ドイツ人との関係をましなものとするため、アパート住人とソ連軍兵士とのパーティーが開かれる。日にちが立ち、アンドレイ少佐は、ベルリンから転任となる。
放心状態の夫ゲルトが、女主人公のところに戻ってきた。
キャスト
- ドイツ人
- 主人公女性 : ニーナ・ホス
- ゲルト : アウグスト・ディール
- ベルベル : イェルディス・トリーベル
- エルケ : ユリアーネ・ケーラー
- ソビエト軍将兵
- アンドレイ少佐 : エブゲーニ・スジヒン
- アナトール中尉 : ロマン・グリブコフ
原作本
脚注
- ^ 『ベルリン終戦日記』白水社、2008年6月10日。
- ^ ベルリン陥落 1945 ASIN B0041Q4LT0
外部リンク
「ベルリン陥落 1945」の例文・使い方・用例・文例
- 最初は1914年に建てられ、1945年に戦災を受けました。現在の駅は、元の姿に復元するために2012年に建て直されたものです。
- 戦争は1945年に終わった。
- 彼は 1945 年に両親とともに南アフリカに向けて出発した.
- (ナチスドイツの)第三帝国 (1933‐1945).
- この年表は 1945 年まで扱っている.
- 1945 年 8 月 14 日に日本はポツダム宣言を受諾し, 翌 15 日に大戦は終結した.
- 「原爆ドーム」は 1945 年 8 月 6 日の原爆の爆心地である.
- 第二次世界大戦は 1945 年 8 月にその幕を閉じた.
- 1941年から1945年までのドイツのナチス政権下のユダヤ人の大量殺人
- アメリカの海兵隊員が着地し、日本の擁護者を破った硫黄島上の残忍で長い活動(1945年2月、3月)
- 第二次大戦終結期の太平洋上の軍事行動(1945年4ー6月)
- 連合国軍(オーストリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、カナダ、中国、コロンビア、コスタリカ、キューバ、チェコスロバキア、ドミニカ共和国、エルサルバドル、エチオピア、フランス,ギリシア、ガテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インド、イラン、イラク、ルクセンブルグ、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウエイ、パナマ、フィリピン、ポーランド、南アフリカ、英国、米国、ソビエト連邦、ユーゴスラビア)対枢軸国軍(アルバニア、ブルガリア、フィンランド、ドイツ、ハンガリー、イタリア、日本、ルーマニア、スロバキア、タイ)の1939年から1945年の戦い
- 1945年にナグ・ハマディの町の近くで農民によって発見されたギリシア語からコプト語に翻訳された13冊の古代のパピルス写本のコレクション
- ヒットラー治下のナチスの独裁国家(1933年―1945年)
- 第二次世界大戦で枢軸国と戦い、1945年に国連憲章に署名した(後の追加で)同盟国
- 文化、経済、軍事、政治、社会面での協力関係を促進するために1945年に結成されたアラブの独立国家の国際組織
- 1945年夏にポツダムで開かれた会議で、ルーズベルト、スターリン、チャーチルが第二次世界大戦終了後のドイツとポーランドの統治に関する計画を起草した
- ルーズベルト、スターリン、およびチャーチルが第二次世界大戦の最終段階を計画して、ヨーロッパの地域分割に同意した、1945年2月にヤルタで行われた会議
- 日本の属国としての韓国の名前(1910年−1945年)
- 米国のユーモア作家(1889年−1945年)
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