プレースタイルと記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:17 UTC 版)
「マジック・ジョンソン」の記事における「プレースタイルと記録」の解説
マジック・ジョンソンに関しては、パスの技術についての評価が高い。彼のパスは多彩であり、誰もが予想しないパスをしばしば見せた。全く見ていない方向に繰り出す、いわゆる「ノールックパス」を得意とした。更にノールックパスをする選手の中でも、パスの前に2度3度とフェイクを入れたり、レッグスルーやハンドリングなどの複雑な動きを絡めたりするノールックパスは彼独自のものである。特にパスの前のフェイクの巧さ、複雑さは凄まじく、めまいを誘うような連続シュートフェイク、パスフェイクに相手選手はわけが分からなくなりその場に棒立ちになってしまうことが多く、また相手選手のみならずカメラマンまで引っかかってしまい、まだボールを持っているマジックを画面から消してしまうこともあった。 スポーツジャーナリストやNBAアナリストとして有名なスティーブン・A・スミスは自身がコメンテーターを務める『ESPN』の番組『First Take』で「マジック・ジョンソンはサイズがあって力強く、怪我の耐性もあり、そしてパスに関してはバスケットボールの歴史上彼に並ぶものはいなかった。典型的なポイントガードのイメージ、またポイントガードはどうあるべきかという面において、マジック・ジョンソンは別格だ」と評した。 生涯通算アシスト数は10,141で、レイカーズ歴代1位、NBAでも歴代4位。プレーオフの通算アシスト記録2,346を保持。1983年、1984年、1986年、1987年と4度リーグのアシスト王。1試合当たりの生涯平均アシスト数は11.2で歴代1位。歴代最長の46試合連続2桁アシスト等、アシストに関する多数の記録を持つ。ジョン・ストックトンやジェイソン・キッドなどパスの名手と比較しての彼の特徴は、先述のノールックパスを生かしたファストブレイクでのパスの裁き方で、早い展開でのとっさの視野の広いプレーをした。 ジョンソンのように206cmの高身長ながらポイントガードを務める選手は、当時珍しかっただけでなくNBAの歴史上でも稀である。それほどの長身にもかかわらずポイントガードでプレーし続けることができたのは高校・大学のコーチの理解によるところや、NBA入りしてからも218cmのセンター・カリーム・アブドゥル=ジャバーがチームメイトにいたことなど、環境に恵まれたこともあるが、ジョンソン自身がガードの中においても高い身体能力とボールハンドリングを備えていた事が大きい。 マジック・ジョンソン以降、彼にあこがれて長身でもポイント・ガードでプレーすることを希望する選手が増えたが、チームに他に長身でリバウンドやポストプレーをこなせる選手がいないとセンターやフォワードへの転向を余儀なくされてしまう例が多い。オーランド・マジックに1993年にドラフトされたアンファニー・ハーダウェイは201cmのポイント・ガードだったが、その後得点力を生かすためにシューティング・ガードに転向させられている。ミネソタ・ティンバーウルブズに1995年にドラフトされた高卒選手、ケビン・ガーネットは「史上初の7フィート(213cm)のポイント・ガードになりたい」と語っていたことがあるが、チーム事情もありスモール・フォワードから後にはパワー・フォワードでプレーしている。実際の身長は213cm以上あるらしいが、211cmと公表しているのは本人の抵抗の現れと見る向きもある。一方、フォワードということになっているラリー・バード(206cm)や元シカゴ・ブルズのスコッティ・ピッペン(201cm)はボールさばきやアシストパスも非常に巧みで、実質的にはチームのポイント・ガードをこなしていた例もある。 ジョンソンはパス・アシストに才能を持っていたのみならず、オールラウンドな選手であった。1試合で得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックショットのうち3つの部門で2桁を上げるトリプル・ダブルを生涯で138回記録しており、NBA歴代3位である。歴代2位は1960年代を中心に活躍したオスカー・ロバートソンで、181回である。ジョンソンがNBA入りしてからトリプル・ダブルの成績を上げることが多いため、記録として認定されるようになった。ジョンソンは長らくNBAで最多のトリプル・ダブル達成者と言われてきたが、最近やっとロバートソンの時代の記録が詳しく調べられるようになり、ジョンソンよりもかなり多い達成回数であることが判明した。他にウィルト・チェンバレンもかなり多くの達成回数があると見られているが、記録が詳しくわかっていない試合も多い。 キャリア末期にはフリースローを非常に高い成功率で打っており、1988-89シーズンは成功率91.1%でリーグ首位を記録した。ラリー・バードも何度かこの部門でリーグ首位に立っており、翌1989-90シーズンには再びバードがフリースロー成功率でリーグ1位になった。 「史上最高のポイントガード」を決めるランキングでは2位以下はランキングを決める媒体によってオスカー・ロバートソン、アイザイア・トーマス、ジョン・ストックトン、最近ではステフィン・カリー等の順位が入れ替わることがあるがマジック・ジョンソンはありとあらゆるランキングで必ず1位に選ばれていることから分かるように、彼の残したプレーや実績、NBAへの貢献度や偉大さは極めて絶大なものである。 1987年、1989年、1990年にレギュラーシーズンのMVPを受賞。1983年から1991年まで9年連続でオールNBAファーストチームに選出。オールスター戦には1980年から1992年まで13年連続で選出。このうち1990年と1992年はMVPを受賞。プレーオフでは、1980年、1982年、1987年にファイナルMVP受賞。 1996年には、「NBA50年の偉大な50人の選手」の一人に選ばれた。2002年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。 ESPNが発表した「歴代最高のポイントガードTOP10」では1位である。 2019年NBAアウォーズにて、ラリー・バードとともに生涯功労賞を受賞した。 練習の必要性を熟知している一人でもあり、「どんなプレイヤーでもベストを尽くして練習しなくては、最高のプレイをすることができない。」と語っている。
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