プリチェット弾の開発と採用とは? わかりやすく解説

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プリチェット弾の開発と採用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:54 UTC 版)

エンフィールド銃」の記事における「プリチェット弾の開発と採用」の解説

1852年、後にジェームズ・パリス・リー(英:James Paris Lee)と共にリー・メトフォード開発することになる技術者、ウィリアム・エリス・メトフォード(英:William Ellis Metford)は、長距離1200ヤード)におけるライフル射撃について研究しており、彼は1852年半ばから長距離射撃用の弾丸性能に不満を抱いていた。鉄製カップ挿入されているミニエー弾のような2つパーツ構成され弾丸は、メトフォードにとっては簡単な問題複雑な方法解決しているようなものだった。 そして彼は、自身アイデアである「完璧なライフルマスケット弾」の構想練り始める。メトフォードのアイデアは、火薬燃焼発生するガス圧力によって、慣性物理法則拡張する底部に浅い空洞をもつ弾丸であった1852年の(おそらく)春か夏に、メトフォードがプリチェット&サン(Pritchett & son)を経営するガンメーカーであるロバート・テイラー・プリチェット(英:Robert Taylor Pritchett)と出会うと、二人新型弾丸コンセプトについて考え始める。メトフォードは、弾丸アイデアを、プリチェット試作銃生産可能な銃火器工場や、弾丸作れる弾鋳型持っていた。 そうしてプリチェットは、メトフォードのアイデアである「ミニエー弾のような深い空洞ではなく、浅い空洞を弾底部に持つ椎の実型の弾丸」を元に新型弾丸開発始め、「プリチェット弾(英:Pritchett bullet)」を開発する。このプリチェット弾は、ミニエー弾とは違って浅い空洞があり、これは弾丸後端前部より軽くするためにある。 プリチェット弾の拡張構造は、火薬燃焼によって起こるガス圧が、この軽い弾丸後端部分空洞を、重い弾丸前部へと押し付け弾丸押しつぶすようにして、弾丸半径方向へと拡張、そしてライフリング吻合させるというものであった。これによって、ガス圧力最大0.003~4インチまで拡張し銃身内にスキマを残さなかった。そして弾丸は非常にバランス取れていたため、長距離射撃において高い精度出したプリチェットは、プリチェット弾への調整始めると、銃火器専門家や、銃の娯楽サークルの間でプリチェット弾の噂が広まり1852年半ばには、小火器委員会の耳にも入った。そして同時期にプリチェット有名なガンメーカー達が参加しているトライアル存在を知る。 小火器委員会射撃トライアル終え1852年8月に2丁のプロトタイプエンフィールド銃作ると、プリチェットは.577口径銃身対応し軍用弾薬包で使用可能なプリチェット弾を製造するように頼まれた。プリチェットは、重量520グレイン(約33.7グラム)、高さ.960インチ(約2.4センチ)、口径568口径(約1.4センチ)のプリチェット弾を委員会提出した弾丸は、弾の全長三分の一深さがある浅い弾底部(ミニエー弾や、デルヴィーニュ弾は三分の二)が在り、弾側面に溝(タミシエ・グルーヴ)がないため、紙製弾薬包(紙パッチ)で使用可能だった1852年12月2日プリチェット弾はエンフィールドにて、プロトタイプエンフィールド銃から初め射撃された。この射撃時に使われ弾薬包は、61.5グレイン(約4グラム)のF.G.パウダー入っており、これは1851年ライフルマスケット弾薬内の火薬より10%少なかったレポートによると結果は、「800ヤード先(約732メートル)の12×12フィート四角ターゲットに、20発中19命中し、縦10フィート(3.05メートル)、横5フィート(1.52メートル)の弾痕グループ作った」というもので、プリチェット弾はこれまで試されたものより性能良いことが分かった1852年当時では、プリチェット弾のこの射撃性能は、驚異的なものであった。 この時、小火器委員会は、マスケット銃の古い装填方法破棄する準備ができておらず、新たな弾薬包を作った。この弾薬包は、弾丸弾薬包の先端にあり、火薬底部にあるもので、滑腔銃身マスケット銃弾薬包と似たような構造装填方式をもった。この弾薬包の構造によって、新型エンフィールド銃が滑腔銃身マスケット銃同じよう装填できること望んだ。しかし、レポートによると、射撃性能許容範囲であったが、銃身がすぐにファウリング起こした事が分かった。これは、弾薬包紙ではなく弾丸グリース塗った事が原因で、これにより、発砲時に弾丸黒く焦げチェンバーから2インチ(5cm)ほど銃身汚してしまった。これに比べフランスで発明され新型弾薬包は、弾丸ではなく弾丸を包む弾薬包紙グリース漬けられているので、毎発砲時に必ず銃身ファウリング防いだ結局小火器委員会作成した弾薬包は性能良くなかったので、委員会は、このフランスで発明され新型弾薬包の構造踏襲したものを、エンフィールド銃弾薬包として採用した(以降エンフィールド銃使用され弾薬包を「エンフィールド弾丸包」と呼ぶ)。初期エンフィールド弾薬包は、1851年ライフルマスケット用の弾薬包と全く同じデザインだった。装填方法弾薬包の先端を口で破り火薬銃口内へと流し込む次に弾薬包を反転し弾丸内蔵されている部分銃口嵌める。 そして不要となった火薬内蔵部分の紙を手でちぎり取って捨て、ラムロッドで弾丸銃身の底まで押し込む。 というものだった。 この初期弾薬包は、.568口径プリチェット弾を包んだ時に弾丸直径が.576インチになり、これはエンフィールド銃の.577口径銃身と0.001インチしか差がない事から、銃口キツ嵌った。そのため、弾薬包は、どの様種類の紙を使用しても、厚さが0.009インチ上大きくならないように製造された。そして弾薬包は、弾丸内蔵されている部分までが獣脂(牛脂または豚脂)と蜜蝋が6:1の割合配合されグリース漬けられており、これはファウリング防止に非常に役立ったエンフィールド弾丸包で使用した時のプリチェット弾の性能は非常に良く王立兵器廠機械工であったスコットランド人ジョン・アンダーソン によって製造されアンダーソン弾丸製造機簡単に圧縮製造(英:Swaging) ができたので、小火器委員会プリチェット弾の性能にとても満足したプリチェット弾は前装式ライフル問題全て解決した弾丸だった。 1852年12月31日小火器委員会は、「.577口径銃身と、.568口径プリチェット弾を推薦する」という内容最終レポート提出した。これを最後にプリチェットエンフィールド銃弾丸に関する開発改良終了しグレートブリテン及び北アイルランド連合王国議会から1,000ポンド(日本円にして約2,700万円)支払われた。しかし、この時のレポートにはどのようなライフリングエンフィールド銃採用するかが書かれていなかった。

※この「プリチェット弾の開発と採用」の解説は、「エンフィールド銃」の解説の一部です。
「プリチェット弾の開発と採用」を含む「エンフィールド銃」の記事については、「エンフィールド銃」の概要を参照ください。

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