ミニエー弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 13:40 UTC 版)
1849年のフランスで発明されたミニエー銃の弾丸(ミニエー弾(英語版))はドングリ型(椎の実型)の鉛弾(椎の実弾)で、弾丸の円周には溝(タミシエ・グルーヴ)が3条切られて凹凸があり、この凹部にはグリス状の脂を付着させていた。底部は奥深くまで窪んでおり、窪みは半球型の鉄製キャップで埋められている。弾頭とキャップ、火薬はそれまでのマスケット銃の紙製薬莢とは違い、火薬を銃身に注ぎ入れてから弾薬包を反転させ、弾丸を銃身に嵌めて、火薬を内蔵していた部分の紙を手で千切って、弾丸をラムロッドで装填するという装填方法をもつ新たな弾薬包に内蔵されていた。 発射されるまでのミニエー銃の弾丸は銃身の内径より小さい寸法であるために、布片(パッチ)にくるむと銃口内径よりも直径が大きくなる丸玉をライフリングに食い込ませるように装填するヤーゲル銃(英語版)やベイカー銃と比較して、銃口から弾丸を押し込む際の労力は少なくなった。ミニエー銃の前に登場したライフル銃のブランズウィック銃では、丸玉(英語版)自体にライフリングに噛み合うベルト状の突起が初めから設けられた特殊弾を用いる事で、ベイカー銃の初弾の装填の困難さの克服を図っていたが、銃口からライフリングが視認しにくい夜間や、銃身内部がひどく汚れてくると次第に装填が難しくなる欠点が依然として存在した。 ミニエー弾は発射時に、火薬の燃焼によって発生するガスの圧力でくぼみの奥深くに押し込まれたキャップがスカートを外側に膨張させると、弾丸周囲の溝の凸部は銃身内のライフルに食い込みながら密着する。この事で圧力の漏れを無くし、ライフルによる回転を弾頭に与える事に成功している。こうした構造により多数の弾を射撃して黒色火薬や鉛弾頭の残渣で内径が狭くなった銃身であっても、比較的再装填は容易であった。また、ミニエー弾以前には薬室底部に丸玉と同じ半球型の窪みを設け、槊杖で丸玉を無理矢理変形させる事で弾頭のライフリングへの密着度向上を期待するアンリ=ギュスタヴ・デルヴィーニュのデルヴィーニュ・ライフル(1826年採用)や、デルヴィーニュ・ライフルに更なる改良を加え、薬室内部にステム(平頭のピン)を予め設けておく事で、中実の椎の実型弾を装填する際にステムが椎の実型弾の底部をドーム型に変形させ、弾頭のライフリングへの密着度向上を図ったルイ=エティエンヌ・トーヴナンのトーヴナン・ステム・ライフル(1846年採用)といった発案が存在したが、これらの薬室側に弾頭底部を変形させる何らかの構造を有したマスケット銃は、射撃を重ねて薬室内部に汚れが堆積すると最終的に弾頭底部の変形構造が機能しなくなり、機能回復の為の清掃作業にも大きな困難が伴った。ミニエー弾はフランス陸軍のデルヴィーニュやトーヴナンの発案と戦場で得られた戦訓、その欠点の改良の中でフランソワ・タミシエにより1849年に考案されたものであった。 ミニエー弾頭は1880年代に無煙火薬と弾頭への銅被覆(英語版)が発明され、小銃の弾頭形状が外部弾道特性(英語版)に優れた中実のボートテイル構造を採用した尖頭弾(英語版)が主流となる過程の中で使われなくなっていったが、銃口初速や腔圧(英語版)が小銃や機関銃程大きくならない散弾銃のフォスター・スラッグ弾(英語版)や、空気銃のつづみ弾(英語版)に、2017年現在でもその概念が残されている。また、今日でも鉛を用いて容易に鋳造が可能な弾頭鋳型(英語版)が販売されており、欧米ではライフルマスケットの実射を楽しむ事は、既に生産されていない金属薬莢の入手や旋盤加工による複製品製造、その形状修正(リサイズ)を含むハンドロードが必須なミニエー銃改造の後装銃や、村田銃などの黒色火薬時代の単発ボルトアクション小銃と比較すれば容易である。ただし、ミニエー銃の口径は公式には.58インチであるが、実際には.585インチから.575インチ程度と銃ごとに銃身内径の個体差が存在する為、良好な集弾率(英語版)を得る為には銃腔の測定や適切な鋳型の選定が必要である。
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