ライフルドマスケットの特性
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「ライフルドマスケット」の記事における「ライフルドマスケットの特性」の解説
一般に、ライフルドマスケットは置換する前の滑腔マスケットと同じ長さであった。典型的には銃身はおよそ40インチ(100cm)で、全長は55-60インチ(140-150cm)であった。当時のアメリカ造兵廠命名規則では、ライフルやライフルマスケットは、ライフリングを持つように特別に設計され、生産されたものを意味していた。ライフルドマスケットは、造兵廠や提携業者にライフリングのために返却されたマスケットを指していた。 1850年代、造兵廠に保管されていたかなりの数の滑腔マスケットがこの方法でミニエー弾を制式弾として発射できるように改造された。ライフルマスケットは前身の滑腔マスケットと比べ光景が小さくなる傾向があった。例を挙げると、スプリングフィールドM1855では.58口径であり、イギリスの1853年式エンフィールド銃では.577口径であった。1850年代半ばにアメリカ陸軍で行われた試験では、小口径弾は長距離でより高精度であった。円錐型をしたミニエー弾は、.58口径と小口径ではあるが丸弾よりも長いため、より大口径の.69口径の丸弾とほぼ同量の鉛からできていた。口径は縮小した一方で、銃身の長さはそのままであった。短銃身のライフルをつくることは容易であり(かつ乗馬歩兵やライフル兵などの特科兵向けに作られていた)、置き換える前の滑腔マスケットよりも高精度であったが、軍上層部は戦列を形成して射撃する戦術を好み、短銃身の兵器では、後列の歩兵が前列の歩兵を誤射する危険があることを恐れていた。その時代の軍上層部は、銃剣による戦闘が持つ重要性はライフリング以後も変わらないと考えており、そのことも銃身長を保つ決定に影響を及ぼした。 アメリカやイギリスの制式小銃は、銃身長が長い「ライフルマスケット」バージョンと、スプリングフィールドM1855のようなより短い「ライフル」バージョンが製造された。ライフルマスケットは40インチの銃身を持ち、全長は56インチ(140cm)であった。ライフルは33インチ(84cm)の銃身を持ち、全長は49インチ(120cm)であった。 イギリス軍では、歩兵全体に支給したフルサイズのマスケットと、特別に訓練したライフル連隊や海兵隊向けのより短く、取回ししやすいバージョンのエンフィールド銃の区別は保たれていた。長いバージョンでは、銃身が3つの金属帯で銃床に取り付けられ、短いバージョンではそれが2つであった。そのため、それぞれ「3バンド型」「2バンド型」と呼ばれていた。 ライフルマスケットは典型的にはパーカッションロックを採用していたが、スプリングフィールドM1855のような例外もある。それはメイナード紙製雷管システムを装備していた。 ライフルマスケットは滑腔マスケットの直接の後継であったため、銃剣が装備されていた。軍隊で運用するに当たり、ライフルマスケットの装填は紙製カートリッジを使用しある程度簡略化されており、近代の金属製実包とはかなり異なるものであった。それは一般には、筒状の紙に一定量の黒色火薬と、グリースの付いたミニエー弾を詰めたものであった。 滑腔マスケットの装薬と異なり、装薬全体を銃口から装填するものではなかった。その代りに、まず紙を破って空け(普通、射手が歯を使って開けていた)、黒色火薬を銃身に流し込み、その後ミニエー弾を銃口から落とし込み、槊杖を使って火薬の一番上になるように装填した。 装填が終わると紙は廃棄された。その他近代の装薬と違う点は、雷管は別に存在しており、射撃時にパーカションロックの火門に装着する必要があった点である。メイナード紙製雷管システムは、この最後の段階をキャップ状の雷管ではなく、現代のおもちゃの雷管銃に似た、紙製雷管の帯を用いることで高速化しようと試みたが、野戦で運用するには信頼性が不足しており、後に廃止された。 こういった手法によらない例外として、エンフィールド銃の装薬が挙げられる。エンフィールド銃の弾丸には、ミニエー弾と違い、潤滑を保つために鋳造ないし鍛造された環状の構造は全くなかった。弾丸は装薬底部に位置しており、弾丸のある部分の外側の紙にはグリスが塗られており、弾丸と同時に装填され、この紙で隙間を埋めるように設計されていた。槊杖は弾丸をしっかりと装填するために用いられた。
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