ヒトラーのモノマネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 16:58 UTC 版)
「エミン・ジノヴチ」の記事における「ヒトラーのモノマネ」の解説
私は自分の外見に誇りを持っているし、死ぬまで変えるつもりはない。人々はこの姿で私を覚えているのだから。 —Emin Xhinovci 店の廃業後、ジノヴチはヒトラーの仮装をしてミトロヴィッツァの街に出て、地元の人々、観光客、平和維持軍将兵などといった人々を相手に、1枚20ユーロから80ユーロ程度で「ヒトラー」との記念写真を撮影するという商売を始めた。1日あたりの収入は200ユーロ以上だという。結婚式や葬儀といったイベントにもしばしば呼ばれ、こうした場でジノヴチはナチス式敬礼で挨拶をする。これについてジノヴチは「これはしばしば望ましからぬ効果をもたらす。というのも、故人を悼む為に集まった人々が、私と写真を撮ったり話したりしたがるのだ」と語っている。 仮装を始めた頃から、ジノヴチは自らがヒトラーの生まれ変わりであると信じ始めるようになった。彼は仮装に加え、様々な「ナチスの道具」を常に持ち歩いている。それは例えば、ナチス時代のライヒスマルク、ハーケンクロイツが付いたボタン、ハーケンクロイツなどナチスを象徴する模様が刺繍されたスカーフ、『我が闘争』、ヒトラーの名とハーケンクロイツが印刷された名刺といった品々である。彼のこうした振る舞いは、地元の人々や平和維持軍当局からは特に問題視されていない。貧困や汚職など、より現実的な問題が多い為である。逆に、通行人や平和維持軍将兵の中には、彼を見ると立ち止まってナチス式敬礼を行うものまで居るという。Vice Newsの取材に応じたある地元の住民は、「私には他に心配すべき事がいくらでもあるのです。彼(ジノヴチ)が出歩いていれば見かけることもあるでしょうが、それだけのことです」と語った。地元では、彼の商売は生計を立てるための「実に大胆な事業」と見なされている。 ジノヴチは地元の人々について、「彼らは私を尊敬してくれる」「老若男女。皆が私に『ハイル・ヒトラー』と挨拶してくれる」と話した。彼には5人の娘があるが、地元では「ヒトラーの子供たち」と呼ばれている。彼女らも父の行いを気にしていない。ジノヴチによれば、学校の保護者会にもヒトラーの仮装で出席したが、教師や他の親も彼の外見について何も言わなかったという。また、娘たちを学校に迎えに行くと、いつも子供たちに囲まれ、一緒に話したり、写真をとってほしいとせがまれるという。Una Hajdariによるインタビューでも、「少女らは私の顔に触れるのが好きだ。マスクだと思っているのだね。彼女らはまず私の髪を引っ張り、それから頬にキスしてもいいかと尋ねる。私が家族と外出している時、人々は私に話しかけるのをやめる。しかし、私の妻は嫉妬深くはない。彼女は気にしないさ」と話している。 ドイツ刑法第86a条(英語版)が「違憲団体の象徴」としてナチスのシンボルや制服、スローガン、敬礼などを規制している為、「ヒトラー」になったジノヴチはドイツへの入国が不可能となった。彼は過激な反セルビアの立場を表明しており、ミトロビツァのセルビア人地区(北ミトロヴィッツァ(英語版))を訪れる際は常にピストルを隠し持っていると語っている。また、彼は紛争終結の後にセルビア人とアルバニア人の和解がもたらされたと信じていた為、現在のコソボの状況には失望していると語っている。「ヒトラーを演じるのは難しいか」と尋ねられた時、ジノヴチは「簡単なことだ。私は私の中にヒトラーの性格を見出した。彼もまた私の敵と戦ったからだ。私の敵の敵、すなわち私の友人だ。そうだ、セルビア人は私の敵だ」と語った。ヒトラーとの外見上の類似については「私は彼のような独裁者ではないが、彼とよく似ていることは大いなる金銭的利益だ」としている。 コソボでもジノヴチの行動を問題視する人々がいる。プリシュティナを中心に読まれているドイツ語新聞『Kosova Aktuell』は、彼の行動を「スキャンダラスで、決して容認できない」と批判した。
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