ヒトラーの主任副官
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「ヴィルヘルム・ブリュックナー」の記事における「ヒトラーの主任副官」の解説
1930年8月1日、ブリュックナーはヒトラーの副官に任命され、9月1日には、ナチ党へ復党すると共に突撃隊に再び加わった。(党員番号298,623) 1932年にSA上級大佐に昇進し、1933年にはSA中将、1934年11月9日にはSA大将に昇進した。1933年からは、ヒトラー内閣の首班となり、1934年2月20日、ヒトラーの主任副官に任命された。ブリュックナーはその親しみやすさから、首相官邸を訪れる客人の間でも人気が高かった。また、1936年からは国会議員となり、同年1月15日にはデトモルトの名誉市民となったが、1945年11月9日に取り消されている。 第二次世界大戦が勃発すると、ブリュックナーは党内での重要性を失い。副官としての権限は尽く軍や親衛隊の副官たちに奪われていた。 1940年、ブリュックナーはヒトラーの決定で主任副官の職を取り上げられた。この原因はイタリア王太子のオーバーザルツベルクへの訪問に際してヒトラーの山荘管理人であるアルトゥール・カンネンベルク(de:Arthur Kannenberg)がマックス・ヴュンシェ(en:Max Wünsche)以下、数名の総統警護隊の親衛隊将校の対応がなっていなかったと抗議。ヒトラーがこれに同意し、ヴュンシェを「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」に戻すよう命じた。しかしブリュックナーはヴュンシェをかばい、カンネンベルクを批判した。これにヒトラーが怒り、ブリュックナーも総統の側近くからはずされたのであった。なお正式な解任は1941年4月1日であった。 その後は陸軍に入隊し、大尉(のちに陸軍大佐まで昇進)としてドイツ占領下のフランスで勤務した。戦後はガソリンスタンドを経営した。1954年8月20日にヘルプスドルフ (Herbsdorf) で死去した。
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